徳に報いる

人間は、今ある徳はどうやって頂戴したのかと突き詰めると必ずその徳に報いようと考えるものです。徳とは何か、それはいのちのことであり「この世の全ての存在」とも言えます。その存在そのものに感謝して生きていこうとする生き方のことです。

この生き方を生涯大切にしたのは、私も心から尊敬する二宮尊徳先生です。こういう言葉を遺しています。

「遠きを謀(はか)る者は富み、近きを謀る者は貧(ひん)す。夫れ遠きを謀る者は、百年の為に松杉の苗を植う、まして春植ゑて、秋実のる物に於てをや、故に富有なり、

近きを謀る者は、春植えて秋実法(みの)る物をも、猶(なほ)遠しとして植ゑず、只(たゞ)眼前の利に迷ふて、蒔かずして取り、植ゑずして刈取る事のみに眼をつく、故に貧窮す。

夫れ蒔かずして取り、植ゑずして刈る物は、眼前利あるが如しといへども、一度取る時は、二度刈る事を得ず。蒔きて取り、植ゑて刈る者は歳々尽くる事なし、故に無尽蔵(むじんざう)と云ふなり。

仏に福聚海(ふくじゆかい)と云ふも、又同じ。」

そして徳に報いるというのは、天地人の三徳に報いるともいいます。私なりの解釈で今でいうのなら、「自然を尊敬し、場を調え、自己を磨く」ということでしょうか。調和というものは、徳に報いるときにはじめて顕現するものです。

本来、いのちの幸福は調和にこそあります。調和というのは、自分も自然の中に一体になって存在することです。そして調和は眼前の損得を追いかけるような状態では観えてきません。競争社会で比較され、差別が優先する社会では目先にばかりに追われる忙しい心になりやすい環境があります。

しかしよく考えてみて、自分がなぜ今、活かされているのか、どのような徳の恩恵をいただいているのかを思えば何をすべきかは自明するものです。

生き方というのは、それぞれの徳に報いることで磨かれていきます。

時代が変わっても、普遍的な道は変わることはありません。先祖への感謝と子孫への推譲を祈り、日々の徳積に精進していきたいと思います。

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