忘己利他という言葉があります。これは文字通り己を忘れて他を利することをいいます。これは天台宗の祖、最澄の学生を指導する書物に記されます。忘己(自分)のことは後にして、利他(他者)を幸せにする行いをする言葉です。つまり我欲が先に立つような生活ではなく常に他の人のためにとの心をもっている人になれというのです。
この自己、自分、これは「我」ともいいますがこの我と字は、「我」は刃の部分がのこぎり状を呈している一種の古代兵器の甲骨文字から成り立つものでその意味は武器を持って自分を守ろうとする姿です。
自分を守ろうとばかりするのではなく、相手をまず思いやろう、それこそが慈悲の実践であるというのです。
いつも相手のことを思いやる人は、丁寧に話を聴き、相手の心配をします。これは徳を積む心と同じです。日々に、徳を積みたいと思っている人は徳の循環がさらに発展して好循環するようにと常に意識をして日々に取り組みます。例えば、自然界がすべて周囲と関係を結び合いお互いに助け合いながらいのちが充実しあう場をつくっていくように、同じ心で共生と貢献を繰り返します。
徳も同じく、それぞれの徳が活かされるようにと常に心に定めては徳が循環することに感謝して徳を喜ばせていきます。
思いやりも同じく、いつも心の平安や喜びや仕合せがありますようにと祈るように誰に会ってもどんな状況でも思いやりを積み重ねていくのです。
何か困っていることはないか、どうすれば人々が喜んでくれるか、自分が感謝を循環させ恩送りできるものはないかとご恩返しの日々を歩んでいくのです。この忘己利他の別の言い方では報徳報恩ともいうのかもしれません。
人間性を高めて磨いていくための道筋として、どうありたいか、どう生きるかという一つの指針として忘己利他があるということでしょう。
この忘己利他の真逆の言葉が、私利私欲というのかもしれません。似た言葉には我利私欲や損得勘定ともいいます。
一隅を照らすとは、忘己利他に生きよということかもしれません。
徳が循環する経済をまず自分の居るところから実践し照らしていきたいと思います。