最近よく思うのだが今の時代の保育園や幼稚園の働くスタイルやローテーションには、組織の原点である理念や理想を話し合う時間があまり大切に組まれていないなと感じる。
それにゆったりと保育者としての生き甲斐や働き甲斐、遣り甲斐を感じる環境がほとんど整備されていないなと感じる。
昔のままの制度や意味もなく引き継がれた刷り込みのルーティンがいつまでも整理されず過去の生真面目に頑なにがんばり続けたいくつかのツケがそのまま今働いている人たちにのっけられている感じがする。
よく考えると、豊かにゆったりと子どもの成長を見守る仕事が過酷なローテーションで働き甲斐が保障されてなければ現場が余裕がなくなってしまうのは当然のことだと思う。
降り積もった塵は時代とともに整理整頓していかないといつのまにか時代にあわないことをやっていて本質からも逸れているいることがあるからリーダーは常に先見の見通しについて命懸けで舵取りをしていかないといけないと私は思う。
先日、ある園の職員会議に参加してきた。
3日間かけて一人ひとりの職員と個人面談をしてそれぞれにヒアリングをして理想の実現へ向けてどのようにすれば楽しい職場していくかをディスカッションをしてきた。
カグヤのコンサルティングでは理念設計を組んだ後は、園内にファシリテータークラブというのを設けて主要なメンバーを中心に保育園では午睡の時間を使って、幼稚園では夕方から理念と子どもの発達について話し合いを持てる場を用意していく。
ファシリテーターという言葉はウィキペディア(フリー百科事典)を調べると、そのファシリテーターの典型的な例では坂本竜馬がやった薩長同盟があると書いてある。
それぞれの組織における課題と役割を明確にし、それに自分がどう関われば最適な問題解決ができるのかを自らの実践を通して実現していく。
基本的には、どんな出来事もまずは話をじっくりと聴かないと何も進まない。
傾聴の方法には色々あるがただ聞くのと本気で聴くのとではまったく意味が違う。
ただ聞くのは、眺めている景色のようなもの。目に映ればそれでいい。しかし本気で聴くには相手を受容して全肯定して認めて相手のやりたいことを引き出していかなければ聴いたことにはならないと私は思う。
その際に今の時代、その環境にあったファシリテーターの存在が必要になる。
そしてファシリテーターをいざやってみてもらうと何かを引き出したり聞き出したり、最適な判断をしたりすることが結構難しいためすぐに自分の能力が足りないと痛感して自信をなくす人がいる。
しかし、それは本当にその人が能力が足りないからできないのだろうか?
私はそれはそうは思わない。
私が選ぶファシリテーターの定義とは、経験豊富な人でもなく、器用な人でもない、もっとも大事なことは「高い問題意識と危機感」があるかないかでそれができるかどうかが決まる。
決してスキルがないから、力が足りないからできないのではなく単に問題意識が育っていないから何もできないのだと私は思う。
まずはファシリテーターは、問題意識と危機感を持つことだと私は思う。
問題意識や危機感のない人がいくら話をしたって、それはただのテクニック論やマニュアル論でしかない。
如何にそれが考え抜かれて「自らの行動に即した言葉」になっているかが重要なキーだと思っている。
そして組織の大ミッション(経営理念)を前提にその傾聴する相手のミッション(使命)に対して「あなたはどうしたい?」と自分へ向けた矢印を以て深く自身へ尋ねることだと思う。
それをどう認めていくかが個々のミッション(自己実現)の実現には欠かせない。
何のためにわざわざ集まって組織にし、なんのためにあなたはここに居るのかを深く掘り下げればいったい何をするために自分が在る事が最適なのかを鑑みれば組織も個人もきっと同じような結論に辿り着くのだと私は思う。
働き甲斐や遣り甲斐、つまりは人は生き甲斐がが感じられないと何も自分の命の本懐が発揮されることはない。
そしてその力が発揮されなければ感動の場や邂逅は訪れない。
感動の場や邂逅がなければそこに豊かさなんて生まれるはずがないと私には思える。
そしてそんな感動邂逅の場が創造されるから、その場が色々なものを感化し園の最適な環境になって「子どもが落ち着いて安心して育つ」ことができるのだと思う。
まずは、ハード面の建物を建て替えることばかりに目を向けるのも良いがちゃんとソフト面を立て替えることにも目を向けていくことが経営の舵取りをする上でもっとも重要だと私は思う。
とにかくカグヤは自分達の実践を通して、子ども達の未来に生き甲斐や豊かさを感化できるような創造的な場が生まれるように日々内省を怠らず矢印は常に自分へ向け続けて行動で社会へ示していきたいと思う。
子どもの未来のために世界市民としてのファシリテーターになりたいと誓う。
コメント
先ずは自分がやることになっている事が大事だと感じました。その意識になる為にも自分の中の危機感や問題意識を持つことが大事になってくるのだと思います。その深い問題意識と危機感の中で相手を受け入れ相手を感化する事で話し合いの場もチームとしてもそこからまた一つ成長できるのではと感じます。その為にも今の子どもたちの置かれた環境を様々な視点で見る事、安易に良いか悪いかを判断するのではなく本気で子どもの事を思い続けることで問題意識も危機感も高まっていくのではと感じます。
コメント
問題意識と危機感を持つということが大事だと言っていても、思っていなければ意味が
無いという事を思います。自分が一体何をしたいのかといことの前に自分という人間に
対しての価値を感じるということがあるからこそ、生きがいや遣り甲斐を見いだせるの
ではないかと考えると、自分は自分の信じている自分、みんなから信じられている自分
を見ようとは今まで出来ていなかった様に思います。自己は過ぎたるは障害となります
が、自己があることで自分の信念、問題意識があるということにも繋がるのだと思いま
す。もっと一番の身近な存在である自分を信じることで他人を、多くの人たちのことを
信じることが出来るようになりたいと思います。
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ファシリテーターにとって大切なことは、「こうしたい、こうなりたい」、という目標を持つことではなく、周りがどうあれ、自分自身が何を思い、何を守るのかを決めることではないかと思います。
どうしても、皆の意見を受け入れることばかりに力が入りますが、話し合う議題に対しての問題意識は誰よりも強く持とうとする意識と強い改革意識が必要だと感じています。沢山の視点から決めつけずに本質的な答えを皆で出せるように、日々のファシレイテーションを意味を持って取り組んでいきたいと思います。
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自分が保育士として働いていた時に、理念を学ぶ機会がありませんでした。
今カグヤに入社して、理念の大切を感じています。
保育の仕方は、その時組んだ先生や、園の考え方によって、保育への価値観が決まってしまうのだと感じました。
その価値観を取るのがカグヤであって、自分なのだと思います。
自分が園で悩んでいたことを解決できるような人間になるために、カグヤの実践を行うことや、園の悩みに対して問題意識を持って取り組むことが、大事なのだと感じています。
そのために一つひとつのことにも意味を持って行動したいと思います。