新しい一歩

生きいればやり直しというのは必ず発生する。

それは過去の自分との向き合いが必要であり、丸ごとの自分を偽らずに認めることができるかどうかというものもある。いくら周りの期待に応えようとして必死に自分を偽ったとしてもそ、いつかはその評価は変わってしまうものです。

同じく自分自身の生長にあわせて今までの関係や今までのものを再度、やり直すということが必要であろうとも思います。そのやり直すとは、偽らずにやり直すことが必要にも思います。

人は誰しも、気づかなかったことで間違いが起きることがあります。それに知らなかったことはそれを未然に防ぐこともできず、すべては体験するために必要な期間であったのだと思います。

特に生き方や価値観などというものは、刷り込みが深くそう簡単には気づき変えるということは難しいのです。過去に囚われたり、何かに執着があったり、間違った価値観に凝り固まれば何も見えないのと同じなのです。

しかし体験していくうちに、自分が間違ってしまったことなどにも気づくのだと思います。

その時こそ人は間違いを正すチャンスを得るのです。そしてそれはじっくり納得いくまで体験してからともいえます。その体験こそが、次への挑戦、飛躍のチャンスであろうとも思います。

一般的に人は体験を失敗にしたくないから偽ろうとするものです、もしくは偽っていたから失敗したともいえます。しかしそのままであれば本当の失敗になってしまいます。

失敗とは学びでありそこから気づくものだと定義するならば体験したらならそれに気づき受け容れ清算し新しい一歩を踏み出していくことこそが真の学び方であろうとも私は思います。

新しいスタートには新しい一歩であるのです。
そして過去の体験は、未来の体験で取り戻せるのです。
それが生きるということであろうとも私は思います。

常に清算しながら学びを復習し、それを希望の糧にして歩んでいこうと思います。

  1. コメント

    気付き、改め、自立していくために、そのことを教えてくれる人が身の周りにどれだけいるかが、自分自身の成長の幅のように感じました。お金を払い解決し生長という道もあるのかもしれませんが、人との関係を築いていく、人間性が試され素直さが相手からの次の一言に繋がり、相手に歩み寄る一歩になるのだと思います。
    日頃からの一言を大切に聴き、自分への新たな一歩に転換できるよう進んでいきたいと思います。

  2. コメント

    自分の中には失敗に対する刷り込みがあるのだと思います。失敗すれば周りから何て思われるのだろう、自分に対する評価が下がってしまうのでは、と考え主体的に動く事が出来ない事が今までは多くあったのだと思います。しかし実際に動いてみれば失敗から学ぶことは沢山ある事を今は実感しています。特に今の仕事では日々失敗から気づかせて頂いております。今思えば失敗が悪いのではなく、そこからの気づきからより良いものに変えて行く事こそ大事だと思います。

  3. コメント

    頭の中で感じていることを形にするのも、引きずっている思いを断ち切るのも、全ては実際に行動を起こすということからでありながらも、行動が伴わずにずっと頭に引きずっていることがいくつも自分の頭の中に在るのだと実感しました。だから、心が重くなったり決断が鈍ったりするのだと感じます。こういうものに対して、同じように考え続けるのではなく、行動をまずしていくこと、そして今よりも一歩前に進むことを大事にしたいと思います。

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