今の時代は、元々長い間積み上げてきたものがあっという間に消失してしまうようなことが増えている。情報化された中で、目新しい技術や科学ばかりが善いものだと思い込まされ、さもそういうものが最先端であるかのような錯覚を持たされている。
このIT技術にしても、流行にのって目新しくしていくことでさもそれが価値があるかのように宣伝し人々の意識化をコントロールしたりするようになっている。何でもそうだけれど、最先端というものの定義は果たして目新しいものであるのかと思ってしまう。それは別に最先端技術ではなく目新しいだけであるだけなのです。
実際の最先端とは、そうではなく普遍的な技術といった自然の智慧をカタチにしたものや、いつまでも変えてはいけない大切なものだったりするのです。
昔から変わらない普遍的な技術は、過去の人たちが自分の人生を総結集し何代にもかけて磨き本物にしてきた叡智である場合が多く、それは今の時代も機械でもITでも科学でも達せない領域までの最先端のものであるのです。
そういうものを観えなくなるのは、自然を観なくなるからだと思います。そしてそれは自然をお手本にすることをやめたからでもあるのです。私たちは、昔から変えてはいけないものはすべて自然を通してみていたのだと思います。それが今は、自分の目先や手が届くところばかりでさも目新しいものばかりを求めるようになっています。
物が溢れたと同時に、そういう本来私たちが永い間共に生きてきた発達の記憶も一瞬にして忘れ去られているようにも感じます。そしてそれは人間を弱体化させるだけではなく、その今の定義された技術では人間の身近なものすべてを弱くしていくのです。
その弱くとは、本来の叡智や智慧というものを観えなくするものであり感じる力や気づく力もどんどん落ちて消失していくのだと思います。
養鶏でもそうですが、どんなに科学でたくさんの卵を産ませてさも凄いことだと高々に誇っても本来の自然が生み出しているものは誰にも創りだすことはできないのです。目先の目新しい技術が自然の科学を超えることは絶対にないのです。
いい気なものですが、この傲慢さが今の社会の未熟さを露呈しているのだと思います。
私たち人間界は必ず道理や筋道という順番という黄金ルールが存在します。
まず自然をお手本にし、人間が学ぶことは決して変えてはいけない普遍のルールであったはずです。ここまで来てしまったのは仕方がないのだから、揺り戻しの中で何を最先端とするかはっきりしていきたいと思います。
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最先端にはこれまでの技術や知識を集約したものだと思います。しかし、それを使う人の成長が伴わなければ、ただの新しいものなのだと思います。「猫に小判」「豚に真珠」と諺にありますが、どこに価値があるのかを見抜く力が必要なのだと感じます。時代の変化とともに価値観が変わる中で本質を見抜けるよう、日頃から本当は何なのかと物事を考える癖づけを意識していきたいと思います。
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生きていると勘違いしている事が多くあるのだという事を改めて気づかされます。大量にものが作り出されそれを当たり前のように消費し、自分にとって不必要であれば捨てるという事に疑問を持てていないのが現状だと思います。又技術の進化とは逆に人としての正しい生き方や大切にすべき点は退化しているのではと思います。又技術の進化により全てが便利だと思われているのはやはり間違いだと思います。間違った見方や知識を身に付けない為にも自らが考え学ぶという事を大事にしなければと思います。
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技術が人間の道徳を超え過ぎる時代なのかは分かりませんが、間違いなく破滅の方向を歩んでいるのにも関わらず、向きを変えていけないのは、人間も自然に依存している存在であることを忘れてしまっているという事なのだと感じます。先日、patagoniaとNorth Faceの両創設者が会社を立ち上げる切っ掛けとなった二人の南米(パタゴニア)への旅を綴った映画を見ました。その映画でも、二人が言っていたのは「人間は立ち止まることが出来ないと思っている。前に進むしかないと思っている。しかし、目の前が崖であったらどうだろうか、180度向きを変えて歩き出すだろう」と言っていました。他人事ではなく常に自分自身が当事者である気持ちを大事にしていきたいと思います。