他人に何かを指導するには、それを言うまえ自分がそれをやっていなければ伝わることはなく何でも自分自らが実践しているから相手にその重要性が伝わるのだと思います。
論語にこうある。
「子貢、君子を問う、子曰く、先ずその言を行い、しかる後にこれに従う。」
意訳になりますが、子貢が正しく立派な人とはどういうものですか、すると先生は仰った。まず黙ってその言おうとすることを先に行い、そのあとにそれをはじめて口にして教えるような人のjことです。とあります。
このように、孔子は言葉で何かの言い訳をする前にまずは実行することの大切さを説いています。
どうしても頭でっかちに勉強をし、正しく学問という思実合一を遣り切っていないとすぐにそういう言葉ばかりを並べたてるような学び方になってしまいます。そうなってしまえば、気づくということや気づきというものが実際にどこまで深いのかも分からないうちに自分で勝手に判断してしまうものなのです。
そのように気づきを得ている気になり行動することや実行することよりもただ考えるだけになってしまったりやった気になってしまうことは学問をしていくのにはとても危険であるのです。
何よりも言うだけではなく行動することは、そもそも日々の気づきを何よりも重んじているともいえます。しかし行動も実行もせずに、ただ机上のものを何となく乱読乱聞していても実際には一つの行いの方が遥かに価値があることが多いのです。
今までの経験からの自分なりの考えがあったにせよ、真心を優先せずに行動をしないというのはそれは実際に何も役に立たない勉強ばかりを溜めこんでいることになるのです。実際には、何でもそうですが自分の真心を行うことを優先し、相手からどう思われるかなどというものを意識するのは本当に真心のままに行動しているわけではないのです。
信頼関係というものもそうですが、まずは黙って行うことが御互いの関係を良好にしていきます。言って行わないというのでは、信頼関係が希薄になっていくことになるのです。
気づきの鍛錬において言葉ばかりでやった気になることは何よりも戒めるところです。
言葉にするということは、必ず命懸けでやり遂げるという覚悟が同時必要なのです。
それだけ言葉は重たいのです。
その言葉が自分を創り、その言葉がこの世界を創るからです。
有言実行を重んじ、何よりも自ら決心したことは遣り遂げてから語るようにしようと思います。
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有言実行の対義語に不言実行がありますが、人が聞いている時、人が覚えている時は誰でも実践は続くように思いますが、有言実行も不言実行も実践をする姿勢としては自分自身の心の持ち様なのだと考えています。
しかしそれを言葉にするとき、自分自身の実践なしに語ること頭で理解したことを話す事は慎まなければいけないと感じています。同じ体験をすることで言葉では説明できないことを感じ、遣りきる行動の姿勢、心の表し方を身を持って感じました。言葉の遣い方、意味を深めていくためにもまず実践していくことを大切にしたいと思います。
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毎日内省を行う中で気づきを得る事は多くあります。しかしその気づきから次の行動に移らなければ何の意味も無いのだと思います。社内でも話し合いの中で何かを決める事は多くありますが、何よりも決めた事、気づいた事については先ずは遣り切る事が大事だと今は感じます。私自身はどうしても頭で考えただけで動けない事が多くありました。しかし遣り切るからこそ次の道が開けてくると少しずつですが実感していますのでこれからも先ずは遣るという事を大事にしたいと思います。
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自分が口に出した言葉に対して、まだまだ行動が伴っていない自分を感じます。去年より自分の言葉に意識して、出来ないことは言わない様にと注意をしてきましたが、その経験を通して自分自身が何を実践するべきなのか、何を怠っていたのかが分かる機会となりました。やはり実践が全てであり、その実践に強く意味を持って臨んでいきたいと思います。それが、人から信頼される人間になる方法であり、自分を信頼できる人間になる方法であるのだと感じます。