環境や状況から学びというのはいくらでも深めていくことができる。
いつのときも自分の都合よくいくものといかないものがあるのも学びのためでもある。
時代によってある程度、自然な流れというものがある。
どうしようもないものを受け容れるからといって、それで何もしなくていいというわけではない。
その現実を受け容れつつも、自分がどうするのかを決心することが人の道なのだろうと思う。
何かの真実を知る時、憤慨することもあろうし、 受け容れ難いこともあろうとするのが人間でそれを避けようとしてはいつまでも外側の状況ばかりを変えようとするものです。
しかし現実を受け容れてから、どうするかのほうが大切なのはそれが真実だからだとも思います。真実を受け容れる力というものは、やっぱり素直かどうかという気もします。素直になれば相手はいなくなり、他人のせいにはしなくなるものです。
自分がそこから何をし、何を為すか、そしてそこから何を学ぶのかに行き着くからです。
学ぶというのは、全体の中で自分が大切な役割を担っていることを自覚することのように思います。一物が全体となっていると知れば、自分を如何に怠らずに勤め上げるのかはいのちのすべてが呼吸を繰り返すかのようなものです。
例えそれが大海の中の一滴の雫だったとしても、そこに確かな意義があり、またそれが吹けば飛ぶような小さな塵であったとしても、そこに一体となった真実との絆があること。
そう思うのです。
子ども達やいのちのことを思えば、受け容れ難い現実ばかりがあるようにも感じます。
時には、遣る瀬無い気持ちに心が滅入ってしまうこともあります。
しかし、希望を捨てず諦めず、自らの本業を遣り続けていくことだろうと思います。
この灯を絶やさせはしないぞと心に誓う日々です。
コメント
現実を行うことで理想が追える、また逆もしかりですが、現実を直視するごとに受け入れがたい自分と出会います。現実は学びであり、成長するチャンスだと考えるようにしています。とくにカグヤの仕事は、新しいことばかりで刺激が多く、思考を止めるわけにはいかないことばかりです。初めての取り組みの中からも現実の課題を見出し、その中で自分自身とカグヤへ最初に誓ったことを日々振り返り、実践していきたいと思います。
コメント
日々仕事をする中で自分自身の学びの場は多くあるのだと思います。しかし何か問題が起こった際に、そこから逃げ手ばかりでは自らの成長する機会を無くしているのと同じだと今は感じます。問題が起こった際にそれをいかにプラスに受け止め自分がそこからどうするかを決めるだけで学びの量が変わるのだと思います。又考え動いてるからこそ壁にも問題にもぶつかるのだと思います。何もせずに何の問題も感じない人生よりも多少大変かもしれませんが動く中で問題を感じたり様々な事を感じれる人生を歩んでいきたいと思います。
コメント
本質に触れる為にも、自分自身が澄んだ状態でいることが大事だと最近自分自身で意識しています。心に慢心や変化への恐怖や執着があると、物事を良く見ることが出来ないので、一つ一つ、自分の心を見て気付いたものを、心の中で描いた川に浮かべて流すことをしています。しかし、ただ意識の中で流しただけでは、何も変わらないので、一つ実際に行動を起こし、実践として水を体内に入れ、それが心を澄ませるという風に実践しています。まだまだ、回数も少なく、心にこびりついたモノも多いですが、一つ一つ自分で自分を浄化していくという事に喜びを感じています。