何かを行うときに言われたことを正しく行う人と、そうではないことやろうとする人がいる。
もちろん、世間では言われたことだけをやる人を否定している風潮があるけれどそれは単に言われたことの真意を理解しようとしないで単に作業をしているときに使われます。これは言われたことをやっているだけで正しく行おうとしうているわけではないので批判されるのです。
しかし、それとは別に言われたことを正しくやろうとしない人がいます。
これも同じく真意を理解しようとしないで、自分という我が混入し認めてもらいたいという気持ちから自分の判断や考えを入れて言われたことを正しくしようとしなくなるのです。実際は、言われたことを正しく行えるということは相当な実力が備わっていないとできないのです。
例えば、あるレベルの高い要求があったとします、そしてその人がかなりの実力を備えている人だとします。その人が求める欲求は一般的にはかなり高いものであるのです。それを言われた通りに正しく行えるというのは依頼された人も相当な実力を兼ね備えているからできるのです。
それができるというのは、右腕かナンバー2と言われる腹心クラスだけです。
他はそれができないので自分の判断を入れて、できないとは言わずに言われたことを正しく行わなくなるのです。もしくは、実力不足から結果として言われたことが正しくできないのです。
だから社会で言われたことしかしないと言われたことを正しくしないというのは、どちらも問題でそれは仕事ができないという自覚を促されているのことに本人が気づかなければなりません。
その上で、ではどうやったら自分がそれが修正できるのかを具体的に行動から変えていかなければなりません。
言われたことしかしないという人は、自分が遣ることになっている必要があります。なので、自分から確認して具体的に聴きこむ訓練が必要です。そして言われたことを正しくしないという人は、常に相手の言った通りに正しくできているかを確認し、具体的に実力不足であるのを努力精進し、補てんしていく必要があります。
仕事として取り組むということは、「お役にたてましたでしょうか?」と自分から確認して、どうしたらもっとお役に立てるのか、本当に自分の依頼された仕事が会社や上司に貢献できたのかを自らが掴んでいることで仕事の実力も技術も備わっていくのです。
しかしこれができないのは、どちらも「我」や「私心」「私欲」が邪魔をするのも事実です。
自分と認めてもらいたいと思っている人ほど上記のような落とし穴に嵌るものです。
よくよく用心して、言われたことをやり、言われたことを正しく行い、言われたこと以上に行うという手順はすべてに仕事の貢献と繋がっているのだと覚えておくことだと思います。
仕事の技術は日々の業務の中で磨かれます。
コメント
自己評価に判断を戸惑うことほど、普段の自分自身を露呈することはないと感じます。言われたことをやり、言われたことを正しく行い、言われたこと以上に行う。今自分自身がどのような仕事を行い、どのような仕事をすることが貢献することになるのか考えさせられます。
結果を出すことにこれまで以上に意識を置き、仕事に取り組んでいきたいと思います。
コメント
仕事とは、自分自身がどんなにアウトプットしても、依頼された人のインプットにならなければ何の意味もないのだという事に改めて気づく機会となりました。何のために仕事をしているのかを考えたときに、その目的が見えずに目の前の作業を目的としてしまえば、相手とのニーズはずれてしまうので、目的の共有と貢献、そして情熱を大切にしていきたいと思います。
コメント
言われたことを忠実に行う事がいかに大事かという事を昨日から実感しております。今までの自分は言われたことよりも、常に自分を優先し誰かに認めてもらいたいという気持ちが少なからずあったのだという事を気づかせて頂きました。大事な事は、言われたことに対して忠実に、自分を入れずに取り組んでいく事だと思います。又傍から見れば言われたことをただ遣るのはどうなのかと思う人もいるかもしれません。しかし今は言われたことを言われた通りに遣るという事がある意味でいかに難しい事なのかも感じています。言われたとおりに遣るには、何故それを遣るのか、又どの様な流れでどういうイメージなのか事細かく聞き実行しなければならないと思います。今の自分の行動を改め言われたことを遣るという事をもう一度しっかりと考え行動していきたいと思います。