昨日は、午前中にEarthgames社(http://www.earthgames.nl)のAnne Mijkeさんを訪ね、午後から国から補助金を一切受けずに独自で開校し運営する学校Aventurijnを視察した。
まずアースゲーム社は、世界から80種類以上もの協同的な学びを体験できるゲームを輸入開発したり学校現場でワークショップなどを行っている。
日本でもそういう遊びを通して、体験するようなゲームやワークショップはあるけれど日本の会社や講師が行うものとは今回のオランダのものとは成熟度が異なるように感じた。
特に感動したのは、軽度発達障がいの子どもたちがそのゲームを通して学んだり居場所を得て安心して落ち着いたりできるものが多いということだった。
競争するゲームならいつも同じ人が勝ってしまっていろいろとできない子どもはいつも嫌な思いをしたりついていけなかったりする。しかし助け合いを元に造られたゲームだとそういう日頃できない子どもたちが活躍してくれてみんなを気づかせてくれるとのことだった。
つい学校も家庭でも、身の周りにあるものは競争させたりすることで如何に抜きん出るかばかりを楽しませるようなものが多い。しかし、平和な社会を世界で実現しようと思ったら如何にみんなで助けあって豊かな気持ちでお互いを支えあえることを喜べるようなものを増やしていくことも大事なことだと思う。
私は、見守るほいくプラスを開発したときなぜ人は多数を優先して健常児と定義し障害を抱える子どもを隔離するのか、それは本当に子どもの立場へ立った優しさなのかと深く考えて開発をすることにした。
いつの時代も社会にとって弱い立場の人たちを蔑にして見ないように蓋をして「平和な社会だ」なんて言うのはおかしいことだと私は思う。
もともと人間は目に見える外見だけではなくて、その個性や心情などの内面もみんなそれぞれにまったく違うのだから特にその差が激しい子どもがいるからこそ、大事にしてあげて受け止めてあげる必要がある。そしてそのような差が激しい集団の中でどのように保育をマネージメントしていく必要があるのかを考えたり出会ったりするキッカケになればと願い作られたものだ。
ここからが本当に子どもたちのために学んでいくところになっているのに、日本ではすぐに解決する方ばかりに気を奪われその大切なプロセスや意味をつい素通ししてしまう傾向があるから気をつけないといけない。
今回、ゲームという考え方で様々なマネージメントやワークショップ、また自発的キッカケ出しをやっているのを拝見して私たちカグヤでもたくさんの要素を取り入れてこれからやっていきたいと思う。
また、午後から視察した学校は、行政と裁判までして自らの信条を貫き理想の学校を実現させているシュタイナー教育のようなものをやっている学校だ。こういう学校はオランダに7500校ある中でも6校ほどしかないそうだ。
ここでは、4歳から18歳までの子どもを育てていて全員でも20人弱しか生徒のいない学校だった。授業料も他の学校に比べて10倍近くこちらの方が高い。
教育や保育の中身は、本物重視で自然をもとに体験を通じて学ばせていくということを大事にしている。とても家庭的で細かい配慮をしていて、その子どもの持つ特性を伸ばすことに絞り込みそこを育てていくとのことだった。
日本では偏った子どもたちや不登校の子どもを預かるような学校はあるけれど、ここではそうではなくてむしろ独自性を存分に発揮する特殊なエリートのような子どもを育てようとするような感じがした。
これから日本では、国の補助金が削減されていく中で格差が広がり様々な教育が世間で正しいと乱立していくことが容易に予想される。競争原理の中で、どれだけの人たちが「不易側の変化」と「流行側の変化」の本質を見抜き対応していけるのかと思うと今からとても心配になる。
何でもそうだが、カタチだけを見て時代が変わっているのを忘れてしまったり、死んだ人たちに確認もできないのにきっと正しいと盲目に信じきったするのはどうなのだろうかと私は思う。
ないものをないとして、あるものをどう生きている人たちで一緒に考えてそのものの本質を守るために補っていけばいいのかというのは日本的な「モッタイナイ」でもあり、そしてそれはできないからやってあげればいいのではなくて、できることを「ミマモル」ことでもあるのだと思う。
これからも時代の流れの中でカグヤはいつも不易側の真理を追究しながら、理念を軸に国を支え世界を支え、子どもたちがみんなと助け合え学び合える豊かな社会を目指して貢献していきたいと改めて誓う。
それぞれがそれぞれで調和するかんながらの文明、大和の魂を大事にしていきたい。
コメント
最近は人を分けることに一体何の意味があるのだろうかと感じることが多くあります。分けたがるのはやはり大人の都合であり、子供たちからすればその意味すら理解できないのだろうと思います。人は一人では生きることが出来ない、周りの人とのかかわりの中で生きる事が出来るということを考えれば、
誰かを排除したり分けたりする意味は全く無いのだと思います。それぞれの子が思う存分に個性を発揮できる社会を目指していかなければと思います。その為にもやはり自分の中にある刷り込みに気づいていかなければと思います。
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人には違いがあり、違う意見があるからこそ、自分にはなかった新たな発想を見つける
事が出来、成長する事が出来るのではと思います。だからこそ、アースゲームやオランダの
イエナの様に、協同的な活動が保障されているということに意味があるのだと思います。
人の能力を如何なく発揮することが出来るように、もっと違いを受けれいることが出来る
様に素直になり、違いを受け止めることが出来る様なゆとりや豊かさを持つことが大事
なのでしょう。そのためにも落ち着ける環境、安心できる環境が必要なのでしょう。
しかし、子どもももちろんそうですが、大人に対しても必要だと思えるくらいに今の
社会には必要に思えます。物質的な事を超えた価値を高めて、価値に気づき、今それぞれに
臨んでいることに対しての意味を感じることが出来る様にしていきたいですね。
もっと自分から楽しく、豊かな時間を過ごしていることを実感し、社会を世の中を感化
出来る様にしていきたいものです。
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カグヤにきて、アースゲームというものを始めて知りました。
日本のボードゲームと違いみんなで協力しなければできないゲームの中で、自分らしさというものを出せたと身をもって体験しました。
経験し、気付きの部分を積み重ねることがとても大事であり、普段の仕事の中でもやることの意味、自分の行動、言動は子どもに見られて恥ずかしくないものになっているのか振り返っていきたいと思い、目に見えない本質的なところを見れるようにし、何でだろう」と思う気持ちを持って洞察したいと思います。