子どもの心というものを思うとき、そこに澄んだ心というものがある。
自分の内面にいる、もっとも自分らしいものの一つにその子ども心がある。
大人になってしまうプロセスの中で、たくさんの刷り込みに遭い、意識が色々なことを仕切っていこうとすることでもともとの自分らしさというものが失われていくのです。
いつもの自分で居るという、いつもの自分というものは穏やかで澄んだ優しい自分の状態であったり、思ったことを何でも言えるような壁のないオープンな姿であったりするのです。
子どもは子どもらしいというのは、そういう状態のままでいられるからだと思います。
私にとっての子どもらしさというのは、その人らしく澄んでいる状態のことを思います。
そしてそれを行う保育者は、当然、自分自身が最も澄んでいなければなりません。
澄んだ心を引き出すのは、澄んだ真心であるのです。
日々に自分を正すのも、日々の自分を律するのも、いつもある一定の状態を維持するために必要だからです。そしてそのような環境になるように心がけるのも、環境がそうなっていることで自分たちの心を理解していくためにも、見守ることからなのだと私は思います。
私にとっての見守るというのは、自分の子どもらしさを見守ることに他なりません。
忙しなく、また焦る環境が用意される社会で、どれだけ芯が強くなり心が優しくいられるかは人生の課題です。
たくさんの人たちの力になれるよう、いつも子どもらしさを見失わないように気を付けようと思います。
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見守る、見守られるどちらも思い思われていることを感じます。何のためにを考えるきっかけとして社内の取り組みもありますが、一人一人が持つ雰囲気が場の空気を左右することも感じます。一人ひとりの与える影響が大きいことを思うと、常に穏やかにいることは安心感を齎すように感じています。目先に囚われぬよう何のために仕事をしているのか大元を意識し、取り組んでいきたいと思います。
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子ども達を見ていると、いつも、今を最大限に生きていることを感じます。また、目の前の喜び感動の存在を素直に受け入れる凄さがあると感じます。大人になると、今だけを考えてはいられない現実もあると思いますが、それだけに流されずに、今というものを最大限に生きるということと、未来の為に生きるという事を内包して楽しく生きて行きたいと思います。
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子どもたちは常に大人の姿を見ている事を考えると身が引き締まります。私達の言動で子どもらしさを奪う事すらある事を考えると安易な行動はとれないと改めて気づかされます。又、「澄んだ心を引き出すのは、澄んだ真心」とても心に響いてきました。今自分たちが様々な刷り込みに気づき真心を持って子どもの事を考え接する事が出来れば、その思いが必ず子どもたちに伝わるという事。そして結果的に世の中が良くなっていくという事を考えれば自ずと自分に矢印が向きます。子どもたちの為にも先ずは自分に矢印を向け、正しく生きるという事をしっかりと考え行動していきたいと思います。