何か大きな理念をカタチにしようとしたら、それを誰にでも理解できるように標準化する必要がある。
概念的なものを人へ伝えようとするのは、特殊な力を持っている人ならもちろんだが、ほとんどの大多数の人がそれを理解できるほど明確になるにはよほどのコミュニケーションや日々の生活を共にしていかないと難しい。
本当に一部の少ない人数で理解すればいいのなら良いが、大人数となるとそうはいかない。
だからこそ、その概念的なものから表出される高い問題意識の人だけが持つ「こだわり」を共に同じ目的で働くそれぞれに分かるようにしていく必要がある。
いったい何のために標準化するのかといえば、その本質は皆が同じ目的をやっていることを日々自らで理解できることで共通理解を持ち、ともに幸せになることだとも思う。
誰かだけの概念を優先して、それをやれとなるとやはり物事はすべてトップダウンの画一的なものになってしまう。現場が中心で、現場がみんなで協力してボトムアップしていこうとしたら最低限、最高のことが分かるようにしていくのは本来理念を掲げる経営者の最初の責務であもあるのだろうと私は思う。
カグヤで実施している様々な取り組みはもちろん、パートナー園とともに築いている理念の構築はそういう「こだわり」を整理することが大切な要素になっているということだ。
様々な仕事はどんなものでも、新しく生まれるものと、生まれたものをどう育てて、そしてその新旧の起点の中心軸を捉え、その創造物をどうメビウスの螺旋のように進化させていくを常にを考えていないといけないと思う。
それができていなければ、どこかに無理がきて効果が下がり、本当にやりたいことができなくなってしまったりするからだ。
このブログのどこかでまた詳しく描くが、形のないものをカタチにしていく仕事というのは目に見えないものをどれだけ人に分かるようにするかにかかってくる。
私の創業以来ずっと追っている情報ITのミッションは、すべてそこに注力されているし、私たちカグヤの保育界における大きな役割もすべてはそこにあるのだとも思う。
まずは、自分が明確に実践して園のモデルになろうと思う。
また、日々変化し、その変化とともにこだわりをキチンと標準化していこうと思う。
一期一会の出会いに再び感謝。
コメント
私自身仕事をさせて頂く中で理念の大事さは日に日に増してきています。しかも自分だけではなく仲間とそれを共有できるというのは本当に素晴しいことだと思います。ただ仕事をするのではなく皆で大事にしたいものを共有した中で仕事が出来るというのは幸せな事だと思います。しかしながらその理念が見えない環境で働く人も今は少なくないのだと感じています。実際に子ども達がいる園でもおきてしまっているのが現状です。こういう形では先生方は目指すべき方向も見えなくなり、不安になり、やりがいすら感じれなくなるのだと思います。目に見えないものだから当たり前ではなく見えないからこそ大事にしなければと思います。
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同じ目的のために集まった同士の場合、チームで仕事を進めていくと言う事は
どういうものなのかと言う事を考えさせられます。
その場合、どうやろうかと言うことよりも、自分達の守りたい価値の共有と
守るべき最低限のものと目指すべき最高のもの、これらをしていかないといけない
ですね。
自身が思いを共有出来る環境にある事、その仲間がいることの大事さが改めて
実感します。身近なところにこそ、自分が守られている立場にあることや、何の
恩恵を受けて自分が人生を過ごすことが出来ているのか、もっと深く、噛み締めて
感謝したいと思います。
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理念を違う形に表すと「こだわり」になるのだと改めて気付かされました。
そして、そのこだわりを実践することから自分の経験が成長になり、相手の悩んでいることを解決するのだと思います。
また、理念を伝えることなど目に見えないものを伝えることは難しく、自分が本当の意味で理解していないと伝えることはできないと感じています。そう考えると、理解した気になっていることが多いと感じ反省させられます。
わからないことは、わからないと素直になり、わからないで考えを止めるのではなく、理解しようとするために何をしたら良いのかを考えたいと思います。