先日、ある体験をしました。
「なで石」といって、石をなでると軽くなり、叩くと重くなるという不思議な現象の石です。
一見、気持ちの問題ともいえるようなもので感覚的なものかと思うところです。
科学で分析するだけでは分からないことがこの世の中にはたくさんあります。
科学を創りだしているのが人間である以上、見える範囲もその範疇なのでしょう。
この何かの物との相関関係というものはよくあるものです。
私も昔から、自分の商売道具や相手への贈り物、また自分を包んでくれたり運んでくれたりするものは意識的に常に大切にかかわっています。そうすることで、大事な場面でよく活躍してくれたり、ここぞの時に能力を発揮しくれたりもします。
まるで物にも心があるようにという言い方が分かると思いますが、そういう互いの心の通じ合いというものが起きてくるのです。
人は一見、動いているものにしか心がないと思ってしまいます。静止しているものにはそういう心がないのだと思い込んでもいるものです。今は特に西洋文化が入ってきては、大量生産大量消費、そしてゴミを捨てるという考え方も定着し、ますます物には心などはないと言い切る人も増えてきています。
目に見えるものを追えば、動くものを追うようになり、目には見えないものを捉ええていれば、やはり目には見えないものを捉えることができるのです。その時々に自分がどの目で物事を観るかで、そのものとの関係を創っていけるのだと私は思います。
自分がどのような心で接するか、自分がどのような目を持っているか、自分がどのような手で触れるのか、この世界は自分の関わり方一つで別世界にもなるのです。外界に対する自分の在り方を問い、自然と一体になって周囲を味わっていきたいと思います。
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習慣通りの一日と全く異なる一日を過ごすと、ご飯がおいしいと感じること、体の疲れ方まで習慣を無視するだけで同じ自分でも非日常性を感じます。別分野の学びは普段気付かない感覚に気付かせてくれ、普段の業務との共通点探し、意味を深めることにも価値があるのだと感じています。様々な経験を積んで、色濃くなることは普段感じることのない感覚を感じ、気付くということが別世界ということのように思います。
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自分の在り方一つで周りの見え方も変わってくるのだと感じます。今社内ではおもてなしという事を大切にしています。言葉で言うのは簡単な事ですが、本当に心を込めて誰かの為にや、何か行うという事は大切な事だと今は感じています。プラスに考えれば心を込めれるだけ思っている人がいるとも捉えられるのではと思います。しかし今までを振り返ると心を使うという事を大事には出来ていませんでした。しかし今は一番大切にしたい部分でもあります。心を込める事を大切にすると目に見えない何かが構築されている事を自然に感じます。逆に言えばそれが心を込めるという事ではないかと最近は特に感じています。
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時代を見たときに現代が過去の時代の知恵を終結させた時代となっているかと振り返ると、あまりつみ重なっているようには見えません。むしろ、積み重ねてきたものを壊しているようにすら見える部分もあります。そして、自分自身を見てもそうですが、自分の価値観からしか世の中は見えておらず、日々の実践の中で価値観の外側にある世界を見ていき、価値観を変えて行っているように思います。日々の社内で行っている一円対話は、毎日自分以外の価値観を聞くことが出来、学ぶことが出来るため、今後はより自分の価値観の枠を自覚して大事にしていきたいと思います。