信頼関係を築くのに御互いが遠慮がなくなるということはとても大切なことです。
よく友人関係の中で、「遠慮するなよ」という言葉があるのはもっと親しいのだからという言葉が隠れています。それくらい自分のことを頼っていいよというオープンな言葉がけであるのです。
しかし逆に「遠慮しろよ」というのは、親しくないのだから気軽に頼まないでという意味で使われているのです。もともとこの遠慮というのは、遠くを慮るという意味でつかわれていた言葉ですが親しみの距離感でも使われるようになったのです。
また配慮という言葉も似たものにありますが、これは心配りや思いやりといった遠慮とはまったく意味の異なる言葉であるのです。配慮が必要という言葉は、もっと思いやりが必用、真心や心がけを大切にしなさいという意味であるのです。
例えば誰かのために何かをするにも、自分の欲を満たそうとすることが入り混じっていたり、本当に相手のことを思いやるよりも自分が認められたいからやっていたりする人はどこか配慮が足りないと言われてしまいます。もっと謙虚に、相手の御蔭だといのるように自分の我を交えずに真心尽くせば配慮が行き届いた贈り物や支援、幸福を与えることができるようにもなるのです。
この遠慮というものは、なぜでは遠慮しているかと言えば自分が無理をするからです。
自分が無理をするというのを異なる側面から分析すれば、それは相手を頼ろうとしないという自分の心境が表に出ているからです。相手を信頼しなければ、その問題は全部自分で解決しなければならないことになります。そしてそうやって大変な状態になっているのにも関わらずそれでも信頼しないというのはもっと無理をすると言っているのと同時に、遠慮しますと親しみから離れてくださいとも言っているのです。
私がよく言う、「無理をしないで」というのは、自分に無理をしないでという意味なのです。
それは言い換えれば、もっと自分を大切に思いやってください、そして私を信頼して何でも頼ってきてくださいねと伝えているのと同じ意味なのです。これが自分に無理ばかりを強いる人ではかえって周囲を遠慮がちに換えていくのです。
自分に無理をしないというのは、自分に何ができて何ができないかと正しく自覚することができるということでそれは自立しているとも言えるのです。自立というのは、如何に他人の力を頼ることができるか、そして自分の力を他に活かすことができるか、つまり貢献と共生が可能であるかを言うのです。
これを勘違いしている人はたくさんいて、特に仕事といった一人では大変難しい事柄こそ人間関係の構築、つまりは心のオープンさというのは何よりも欠かせない大切な関わりの技術であるのです。
心の距離感を親しみを籠めて自分から相手に任せること、委ねることを怖がっていてはいけません。人はみんな不安を大なり小なり抱えているからこそ、思い切って不安を語れる関係、無理しない関係を自分から歩み寄っていくことで配慮し合い遠慮ないオープンな絆ができてくるからです。
実践を積み上げて、周囲を明るくしていこうと思います。
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「親しき仲にも礼儀あり」と諺にありますが、親しみの距離感と配慮の距離感を保つことが関係を円滑にするヒントのように感じます。「見守る」距離感についても話が挙がりますが、この距離感を正しく理解するためには、どちらにも踏み込まなければ適切なところが見極められないように思います。子どもがどこまでいたずらをしたら怒られるかを試すように、自分自身から踏み込むことがオープンな関係に近づくことだと感じます。
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本当のチーム作りにはオープンな信頼関係がとても重要であるのだと改めて感じます。同じ目的の為に仲間を信頼し遠慮なく頼める関係性の構築。多くの保育園さんでも起きている問題であると実感します。また、同時に一円対話や和合情報共有など日々の実践をより深めていき、自分自身をより自然な状態に深化させていきたいと思います。
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今迄の自分自身を振り返るきっかけを頂きました。特にゆとりが無い時に遠慮が当たり前であり、何とか自分で解決しなければと思っていた自分がいます。又それはどこかで認めてもらいたいという思いもあったのかもしれません。しかし遠慮する関係性を振り返ると、自分から相手を信じていたのかは反省させられます。自分が遠慮すれば相手の対応が変わるのも当たり前の法則だと思います。その為にも先ずは自分から素直に遠慮のない関係を築く事が大事だと感じます。又ある意味での人は遠慮しなければ人間の関係性を維持できないという言葉の刷り込みにも気づかなければと思います。