マザーテレサに、「愛の反対は、憎しみではなく無関心です」という言葉がある。
この関心と無関心ということについて考えてみる。
よく関心を持っているというのに、いつも相手のことを気にかけるというものがあり思いやりを持って配慮し続けるというものがある。例えば、今、どうしているかなやどんなことに興味を持っているのか、また何か変わったことがないかなど心配することでもある。
その逆に無関心というのは、自分のことで精一杯で他人のことはどうでもいいや、自他ともに心を使わず頭でだけで処理をして気にもかけないということでもある。
関心があれば、関わろうとするのだから繋がりがそこに発生し何らかの変化が生まれますがそこに関わる気もないのではあれば何も変わることはありません。人と人の間に、愛があり、その繋がりを持とうとしないところには愛がないとも言えるのです。
愛は関心とも言えるのは、関心とはお互いの配慮、つまりは心を繋げることを言うからです。
だからいつも気にしているのは愛を育てていくのです。
私にとっての最大の関心とは、「一緒に行う」ということです。関心を持つ人たちが学びたいことや、配慮している人たちが取り組んでいることに同時に取り組む、自分も楽しむ、自分もそれを好きになる、自分からその情報や体験を積んでいくということが実践だと思うのです。
それがよく他人に、すぐに勝負するや,、ムキになってや、子どもではないのだからなどと言われたりしますが、無邪気に関心を持っている自分の行動がそのように顕われていくのです。
関心とは、自分が相手だったらと自他同通というか同じ人生の一つにする、自分の人生の周囲の人も自分そのものとする気持ちが先にあることが大切であると私は思います。どんなご縁も一期一会、どんな繋がりも自分の一生の財産、そう思えばどんなことにも関心を示して取り組んでいくことだと思います。
真心で大きな愛を育てていこうと思います。
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自分を大切にするためには、自分の周りに居る人たち、ものたちを大切にする事だと以前学びました。周りと考えたときに、最初は関わる人たちや身の回りにあるものを想像しますが、考えていくうちにそれはすべての人々、ものであることに気付きます。
そして、考えた後にふと自分に目をやると、身近な人たちへまだまだ私は関心を持てていないことが在ると感じます。自分へ興味を持つこととみんなに興味を持つことは一緒なのだと思います。興味関心という事をもう少し、今日は深めて考えて行きたいと思います。
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一緒に行うことには気持ちや思いが伝播することのように感じています。単に人に流されるわけではなく、自分自身の主体性が生まれることは、視野が広がることと同じだと感じています。人と一緒に行うことは、自分自身の視野を拡げ、協力することと考え取り組んでいきたいと思います。
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何かを一緒に行うという事はとても大切だと思います。相手を知るという事にもなりますし、同じ時間を互いに共有し行動する事で一体感に繋がるのだと思います。しかし同時に問題になるのは、やはり自分から遣ろうとしたのかの部分だと思います。言われたから仕方なく遣るのではいつまでたっても関係性の構築は出来ないのだと思います。自分から関わり行動を起こすからこそその後に得られるものは大きいのだと思います。