風を興す

何かの真似をするというものにも本質と異質のような違いがあります。

学ぶときには誰かの真似をすることはいいのですが、その真似をするにもその人の単なる真似かその人が求めたものの真似であるかは同じように見えて同じではないのです。

仕事の中でもそうですが、やり方や結果などは似せて伝える事も話すことは何度も繰り返し練習していけばかなり近づけていくことはできます。そしてある程度の結果も出すこともできるようになるのです。それは例えば営業の仕事でも、現場を共有し何度も話し方や伝え方、その他の方法をマスターしていけばある程度は自分のものになっていきます。

しかし、それも限界がありその時得たものでずっと維持していくことはできません。ステージを上げていく人たちは元々理想が高く、そのプロセスの過程で各分野の一流の仕事をマスターしていくからです。

人が真似をするとき単に知識をカバーすれば真似が完成して自分のものになるのではなく、その人が求めている理想の高さを真似するときだけはじめてその人に近づくことができるのです。

かの松尾芭蕉に「故人の求むるところを求む」があります。これは偉大な先人の志を如何に求めるか、そして「古人の跡を求めず個人のもとめたる所をもとめよ。」とあるのも、古人のカタチをなぞるのではなく自らの志を求めなさいと私は意訳しています。

これは自分自身が本気で理想を掲げて取り組むことの大切さを語るのです。

人は誰でも自ずからの真心から願うこと、自ずからあるがままに祈ることには敵いません。
本気で自分自身の心から発するように念じることこそが理想の実現になるのです。

与えられたものではなく、求めること、求めるだけではなく、自分から祈ること。日々の積み重ねの上に、理想の実現があるのだから子ども達のことを祈り歩む日々を確かめつつ、新しい風を興していこうと思います。

  1. コメント

    働く姿勢を近くで感じていると、求めるものの高さを感じています。近いことが与えられるのではなく、自ら求め近づき、真似て学んで次のステージへと向かうことをはじめに学ばさせて頂いていることは、環境に恵まれていると感じています。風が気圧の高いところから低いところへ流れるように、流れに逆らわず学んでいきたいと思います。

  2. コメント

    何か、醸すという言葉に通づるように感じます。
    酒も作る原材料は一緒でも、良い酒悪い酒があると思います。
    醸す酒とは、原材料にあるのではなく、作る方の志にあるのだと感じます。そしてまた、その酒の良さを知る為にも飲み手側にその感性を求めるのだとも思います。しかし、作り手の志が高ければ高いほど、またシンプルであればシンプルであるほど、呑み手側には伝わりやすくなるのだと感じます。自分自身も、お客様にカグヤの志を伝えていく以上、自分自身がカグヤの理念を醸す男になりたいと思います。

  3. コメント

    人の良い部分を真似する事は大切な事だと思いますが、自分がどこをめざし真似をしているかで自分自身の成長も変わってくるのだと思います。今カグヤのコンサルタントとしてどういう姿で在るべきなのか、もちろん知識や見た目の振る舞いなど必要な部分は多くあります。同時に自分のお客様への姿勢や在り方も高いところを目指していかなければと思います。先ずはカグヤのコンサルタントとしてどう在りたいのか、それをしっかりと持ち常に高い意識でその目標に近づいていける努力と実践を行っていきたいと思います。

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