泥と土から

泥臭い仕事、地味な仕事が大切だというものがある。

泥臭いというのは、田んぼで言えば土が水を混ざり合ってドロドロに粘っているようなもので、地味というものは足元にあってなくてはならないというものというイメージがある。

つまりは大切な仕事は全部その基本は上記のような当たり前すぎるけれどもっとも生育に必要な条件が揃っているかが大切だということです。

若い時に、如何に泥臭い仕事をしたか、地味な仕事を集積したかでその後の仕事への姿勢、自らの心技体の能力が世の中に活かし発揮できるかどうかが決まるのです。

色々なコンサルティングの仕事をするにせよ、常に人が仕事の中心になるのだから感情的にも心情的にも、そして精神的にも肉体的にも総合的に重く組み合わさっていく中でどれも泥臭く地味なことができるかどうかで事の成否が決まるとも言えます。

派手な仕事というものは、すべては日頃の地味や泥臭いことの集積で成り立つのです。そして最期まで諦めないという仕事はすべてこの土がどのような状態かが左右するのです。

例えばヒアリングやコーチング、その他もそうですが粘り強く丁寧に、見えないところも一切手を抜かないで進めていくことがはじめて他人のお役に立てるとも言えます。

成長を見守るということも同じく、土壌がどのような状態であるかでそのものの生育の本性が発揮されるかどうかが分かります。ある植物や野菜、稲もそうですが土の状態が最終的には実になるかどうかを決めるとも言えるのです。

仕事で言えばよく新入社員がやらされているような御用番などはどんな仕事でもやりなさいといった地味で泥臭い作業、あまり仕事には見えないようなことをたくさんさせることを意味します。その他、経理や事務が行うような目立ちませんが必ず大切にしなければならないことをいいます。そういう仕事に喜びを感じたり、そういう仕事が楽しいと感じているならば将来大きく伸びる可能性があるとも言えるのです。

仕事の応用とは、全てにおいて基礎があってこそ可能なものです。若い時にどれだけ他人の嫌がるような泥臭い地味なことを積み上げたかで今の仕事が決まったともいえます。成長を望む場合は、あえて泥臭いことや地味なことを大切にすることが重要です。

自然農で土づくりをしていますが、泥臭いものはみんな嫌がるし足元の雑草の手入れなども嫌がる作業なのかもしれません。しかし私には、この作業こそが何よりも尊いもので、ここがすべての肝であるかのように感じています。

微生物の活性化もこの土と水、光と風と温度で決まります。

土づくりというのは、いのちの成長の基本、どこまで自分の土を創るのかはその人がどこまで伸びるのかを決める程に重要なのです。新人が雑用をするのは本気で大切に育てようと見守るからです。そしてベテランも雑用をするのは、それがより高度な雑用になるからです。

今の私が行う雑草の手入れも土づくりもすべてはコンサルティングを自然に学ぶのです。
常に土から入ってドロドロに塗れてそこから美しい華を咲かせていこうと思います。

  1. コメント

    どれだけ未来を見ていても、足元の仕事がおぼつかなければその先が望めないということを改めて土づくりの話から感じました。「雲を掴む」捉えどこがない様子を表す諺もあります。自然を用いた言葉も他にもある中で、やはり実践されている言葉を選択するのは、姿勢そのものなのだと感じました。目の前の仕事楽しみ、その仕事が将来の役に立つと信じ、一つ一つ丁寧に進めていきたいと思います。

  2. コメント

    土よりも、
    どんな花を咲かせたいか、
    どうなりたいかばかりに目がいってしまい、
    肝心のそれを実現させる土に対しての意識が
    届かない事があることに気づきます。
    土は誰かに耕してもらうのではなく
    自分でしか耕すことが出来ないのが人の土なのだと感じます。理想を高く持ち、日々心田を耕して行きたいと思います。

  3. コメント

    自然農で言えば土、会社で言えば理念からの日々の実践をいかに大事にし意味ある物として感じれるかが大事だと感じました。又コンサルタントという仕事も手際よく相手の問題を解決するという事ではなく、基本的な部分である相手の気持ちになり話を聞き寄り添う事や、相手の問題を自分の中に取り込み日々実践を行って行く事でしか本当の問題は解決できないという事を感じました。

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