以前、樹木医のことでこのブログに書いたことがある。
樹のことを診断するのにその根がどのようになっているかを診断するのです。
そこで地中の様子を観て、その根に合わせて環境を整えるというものです。
これは樹だけではなく、すべてのいのちに関わるものはすべてその根っこがどうなっているのかを洞察することで判断していくことができるものです。なぜなら自然界というものは、目に見える表面的なものや、現れている姿カタチはその根が具象化したものともいえます。必ず根があって実ができるものなのだから、当然その実はその根そのままが表現されているともいいます。
多様な植物もすべてはその根がどのようになっているかは、大きさだけではなくその色、そのカタチ、その伸び方、生育のプロセス、得意不得意などからでも理解できるのです。これを人に置き換えても同じで、その性根がどうなっているのかは外側に顕われているのだからそこを理解していけばその本質を捉えることができるのです。
しかしその根がどこにあるのか、その性根がどこに伸びているのか、そこを見抜くことは大変難しいことだと思います。人間のことに精通し、根を観る訓練をすれば多少は課題が見抜けるのでしょうがその性根があまりにも根深いとそれを改善することも同じく難しくなるのです。
植物でいえば、根をほぐすことで新しい環境に植え替えたりその根にあわせて枝葉をすいたりすることでその根にあわせていくこともできます。しかしそこを観るというのは、自分との向き合いが必要になりその根を辿るというのは自分の過去に遡る感情とも正対する必要があるのです。
感情の滞留から自分を閉じ込め、根腐れを起こさないようにしないといけません。
生活改善をやるにも自覚が先です。常に自己受容のセルフマネージメントが必要です。
その自覚を促せるかどうかは、その感情の根深さへの受容と理解にもよるのだと思います。
子ども達の心に寄り添いながら、その根が健やかになるように見守りたいと思います。
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根深く絡まった感情を解きほぐすためには、自己開拓と他者支援が必要だと思います。自分一人ではどこがどう絡まっているか分からなくなるものですが、他者を通して見ることで道筋も見えてくるように思います。自らが根腐れを起さぬよう、注意していきたいと思います。
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地中の根は見えませんが、先人の知恵を学ぶことと自分自身を修めていくことで、予測がつき、根が見え始めてくるのだと感じます。自分自身の修練を精進していくことが、誰かの助けになっていくことを感じます。まだまだ足りないと実感します。今日も一日を大事に扱い、学びと実践を深めて行きたいと思います。
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保育の経験はありませんが、専門性とは何かという事を考えさせられます。目に見える物を判断することが専門性なのかと言われればやはりそうではないと思います。目に見える物は目に見えないものがその裏にあるからこそ見えるだけであって本来大切にすべきはやはり見えないものであったり根の部分になるのだと思います。根がしっかりと張り、育つ環境の為にどうすればいいのか、保育だけではなく私自身の仕事と実践を通してこれからも学び続けていきたいと思います。