先日、ある採用面接がありその方の就職活道の相談に乗らせていただきました。
今の時代は自分のやりたいことが分からずに彷徨ってしまうことがよくあります。これは社会がその人のことを尊重しないことにより、その人が自分で自分を大事にできなくなることから自分のやりたいことが分からなくなってしまうとも言えるのです。
人は自分が本気になりたいといつまでも苦しんでいる人がいます。
どうやったら自分が本気になれるのかと、悩むことは自分探しの旅の第一歩であったように思います。自分が本気かという問いを持つときは、私は自分が本心から好きかどうかということに中るのだと思います。
本気というものは、我を忘れるほどに熱中するということでそれは同じくして大好きなことをやっていれば人は自然に我を忘れて熱中することを言うからです。
本気というのは好きだということで、本気になれないのは好きではないからなのです。
好きというものには色々とあります。それは好きか嫌いかという自分の感情的なある条件下でのものともう一つはそこまでしてでも好きなのかというまるごと無条件での好きというものです。
前者の好きは何かと比較しての好きであり、後者の好きは本心からの素直の好きなのです。
好きなことに気づかない人は沢山います、それは常に自分への問いではなく周囲や外界の環境や条件や状況から分析してきっと好きなのだろうと自分が思い込んでいるからです。しかし実際の好きとはそのような理屈はなく、自分自身の心に問い心底それを素直に好きなのだと全身全霊の求めるものに向かっているものであるのです。
この好きというものは、自分が素直でなければ出会えることがありません。
自分の心に正直に、好きなことをやってもいいんだと自分を認めてあげることができて出会う境地であるのです。どこかで言い聞かせたり言い訳をしたりしてしまえば、そのうち素直さが消え感動が薄れ次第に自分が好きだったことを忘れてしまうのです。
好きでいるというのは、いつまでも素直でいるということなのです。
そしてそういう人だけが求道者になり天命に出会い、使命を果たすことができるのです。
だから私はいつまでも新鮮な気持ちで好きでいられる実践として、遣り切るようにしています。
いつまでもどんなことも遣り切るというのは、素直なままでいることになっているからです。
ちょっと体力がつらくてもちょっと精神的につらくなっても、それでもやっぱり好きと思うのです。
好きかどうかは最期までやってみなければわかりません。
それは自分の心に素直でいたいという初心の実践を積んでいるからです。
途中で辞めてしまうのは、好きなことに出会えないとも言えます。
矛盾しているようですが、素直にやっていれば自然に次は顕われます。
人は素直で在り続ければ自然に道は開いていくからです。
常に自分の選択した道に対して謙虚にいることを忘れないでいようと思います。
また多くのことを気づかせていただきましたし、遠方から来ていただき少しでも力になりたいと思っていました。これからまだまだ前途ある未来が豊かに開いていけるように、心から祈念しています。
お互いに好きなことに邁進していきましょう。
コメント
初心に立ち返ることは自分自身の気持ちを確かめる上で、大切なことであり自分が好きな自分であることを忘れない一つの方法だと感じています。現実を理解した中で初心を現実に合わせ、夢と現実の差を埋めるのではなく、それでも初心を軸に素直な気持ちで、在りたい方に進んでいきたいと思います。
コメント
自分の心に正直にという言葉、とても考えさせられます。常に自分の心に問いかけ向き合う事がいかに大事なのかを改めて考えさせられました。周りに流されたり、周りを意識して自分の心に嘘をつくのではなく、常に自分に問いかける事、答えはその先にあるのだという事を感じます。素直とは何かという事はまだまだ私自身の課題ですが、しっかりと向き合って考えていきたいと思います。