人が正直になれない理由としてプライドというものがある。
自分の中で自分というものを偽り、本来の自分のままであることを自分が防げば防ぐほどにプライドというものが出来上がってくる。
ありのままの自分との付き合いを誤魔化し、如何に自分というものをつくってきたか、つまりは今までどう生きてきたかというものが自分の言動を通して現れているともいいます。
自分がどのような人か、そういうものをそのまま出してもいいというのは自分から自らを認め、そして自らの周囲を認めていなければそういうことはできません。こう見られたいと思ったり、こう見られているはずだという歪んだままの自分像を持っていたら人と正直に語り合うこともできないのです。
素直な人は、別に人からどう思われようがあまり気にせずに自分のままでいることができます。それは自分自身が好きであるままでいられるような生き方、つまりは本心で生きているともいえるからです。
その本心で生きるというのは、偽らないままの自分でいるということでもあるのです。
感情を隠したり、見栄をはったり、取り繕ったりするのはまだ自信がないからです。
そして自信は自分を偽っているから身に着かないのです。
自信を持ちたいのであれば、さらけ出したりオープンにいることが一番です。
それでも好きでいてくれる周りがいて、それでも好きなままでいる自分がいる。
そういうものが自信というものかもしれません。
子どもたちが子どもたちのままでいられて、それでいて自信が持てる世界。
自然体を学ぶためには、もっと自分に正直がどのようなことであるかを実践していかなければなりません、バランスに気づき実践を通じて刷り込みを取り除いていきたいと思います。
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満足を越え感動する体験をしたとき、自信が湧いてきたことがあります。満足の捉え方が自分から相手に移り、人が喜んで笑っている姿を見ると、自分にも気持ちが跳ね返ってきます。職業的に人を喜ばせる・笑わせるのではなく、相手にとって居心地のいいところに気付き、引き出すことが大切だと感じています。水が滾々と湧き出るように、歩みを止めず実践を積んで行きたいと思います。
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自分の中にもいつの間にか出来たプライドがあります。自分の心とは別にこうでなくてはならないと思い込み、出来ない事も好きでない事に対しても自分の心に偽りいつの間にか別の自分を作り上げてきたのだと思います。しかしそうなると本当の自分を知る事はかなり難しくなるのだと今は感じます。周りを気にせずに好きなものは好きと言える自分、遣りたい事を思い切り遣り切れる自分、自分の心に正直に生きて行く為にも、自分の心に問いかける事をこれからも大切にしたいと思います。
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オープンさに対しての自分自身の課題があることを痛感しています。いつも自分自身を正直に居る事、また信を入れる事。
これについては、周りやだれかの問題ではなく、自分自身がまず自分自身に対しての信が足りないことが根源であると感じます。もっと、自分を信じ、愛し、オープンになっていくことを大事にしていきたいと思います。