保育の入り口に発達を見守るというものがあります。
その子の今というものがどのようになっているのかを知るのです。
その子の今とは、今までのその子の育ち、そしてこれからのその子の育ち、それがどのようなものであるかを見守るともいえます。
人は成長しますが、その成長はどのような環境の中で育ったかで育ち方が分かるものです。
そして育ちというものを見守るには、気づきを深めていくような実践が必要です。
なぜなら、そのものを主体としてどうしたがっているのか、何を求めているのかなども自分の中の気づきに照らし合わせていくことで感じることができるようになるからです。
いくら知識できっとこうなのだろうと思ったとしても、本当にその主体がそれをしがたっているのかなどは分かりません。よく観察していくことで、そのものがどのようになっているのか、どのようにしたがっているのかに気づけるのです。
日々の小さな変化はとても微細で、気が付いたときには成長してしまっているものです。
先日蒔いた種も、気が付けばあっという間に大きくなって形度っています。
子どもも同じく、気が付いたらあっという間に成長しているものです。
どちらにしても、注意深く観察していかなければ変化の兆しに気づくこともできません。
私が観ていると、じっくり地味に浸透し爆発的に変化するというのが成長です。
どこが醸成している時機なのか、どこが伸び始めた時機なのか、何となくですが素直に観察していると御互いに感じるものがあるのです。
そしてそのどちらにも、見守り見守られているという信頼の絆、その見守っている姿勢と実践があってこそ発達は安心して行わるともいえます。不思議なことですが、生きているものはすべて何かを信じなければ生きることもできないからです。
それは繋がりの中ではじめて「生きる」ということになるからだと私は思います。
このいのちは、すべて共生の中でしか存在しないからです。
そして人も等しく無意識ですが、自分のことを見守ってくれる存在があるからこそ自分を信頼できますし、自分が自らで信頼できれば、より多くの人達を進んで信頼していくことができるようになります。
以上のように大事なことは目には見えませんが、大事なことだからこそ心の眼で観るのです。そうやって心の眼を育み育てていくことが、発達を理解し、子どもが成長するという保育の本質にも通じていくのでしょう。
気づけない所へ心の眼を運び、よりセンスを高め、気づきを深めて見守りたいと思います。
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「上手は下手の手本、下手は上手の手本なり」という諺があります。気付きはどちらか一方のものではなく、お互いにとって大切なこと考えたとき、「いのちは、すべて共生の中でしか存在しないからです。」ということの理解が深まります。気付きをそのまま受け入れ、次に活かそうとするのには必死になっているからで、気付きがそのまま学びとなることも感じています。自身の気付きがどこかで活きていくよう、気付きあう関係性を構築していければと思います。
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成長と言えばどうしても目に見える物を追ってしまいます。しかし大事なのはやはり心であり、心で見ることなのだと今は感じます。日々ニュースを見ていると心が痛む事が多々あります。その都度人が生きていく上で本当は何が大切なのかを考えさせられます。自分自身まだまだ見える物にとらわれてしまいがちですが、心を使い心で感じ気づいた事をこれからも大切にしていきたいと思います。
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成長とは、日々道を歩んでいる者同士にしか訪れないのだと感じます。もちろん、身長や体重などの身体的な成長は見られますが、心や人間性は歩んだ分だけ成長し、歩まなければ成長しない、。その歩みは目に見えない部分でもあり、一見、日々の生活をしていると歩んでいるようにも見えてしまうものなのだと感じます。自分の歩みを止めないこと、意味のないものにしないことを意識していきたいと思います。