いのちの雫

体調不良からバランスを崩すと視野が浅く狭くなってしまうものです。
そういうことから回復するときに、いつも海を実感し海から学んでいます。

人は心身のバランスが整っていると、感情も落ち着いていて様々なものが統一され穏やかに自分というものを客観的に実感することができます。しかしその逆に、少しでも感情の波風に持っていかれたり、激しい変動に巻き込まれるとすぐに主観的になり足るを知らずに不満や不平ばかりの気持ちに囚われてしまうものです。

それはまるで海のようで嵐が吹けばすぐに波風が立ち、落ち着いてくれば穏やかになるようなものです。それだけ感情というものは捉えどころのないものであり、自分がまるで何者であるのか分からない透明でゆらゆらとした存在であるように私は思うのです。

これは私の直観ですがひょっとしたら、これは私たちの身体のほとんどが水でできているからかもしれません。私たちのいのちの源は水なのだから、水そのものが私たちのいのちを構成しているのかもしれません。

これは非科学的かもしれませんが、私たちそのものが水というもので感情ができていると私には思えるのです。もちろん身体はそれだけではなく、土と光と空気などが私たち全体を構成しているということになるのです。

なぜなら、生きてきた人生をどこから眺めてみてもそれが水の流れように感じるからです。

そして私たちの感情と心を観ていたら、それが海のようにも感じるのです。

海はいくら表面上が荒れていたとしても、深海では静かに沈んでいます。
全てのものを容れる力もありながら溶かし、そしてそれを感じて地球の大半を占めています。

空気や光や土があり、身体を構成していますが水が動いているのです。

そう、つまりこれが地球です。

私たちは地球がどのように感じているのか、地球が生きているのを実感するのです。
このいのちというものは水があるから感じられるのではないでしょうか。

何か偉大なものとともに生きているこのいのちの雫に気づけば、幸せとは何かを味わえるのです。当たり前のことに気づいていないことに時折、自分の未熟さを痛感しますがしかしそれもまたこの海のようなものだとし、残りの時間を大切に過ごしていきたいと思います。

 

  1. コメント

    天から下に落ち、落ちて弾いた粒に気付けるのは幸せの感度が高い人の事なのだと思います。それぞれが気付いた分の幸せを共有し合うことは、それぞれを育むための大切な時間なのだと思います。じっくりと時間をかけて気付きを溜めていきたいと思います。

  2. コメント

    感情という波に左右される我というものを私達人間はなぜ生命体として与えられたのかと考え込んでしまいました。きっと何かのお役に立つためにあるのだと思いますが、現状は地球にとってはお役にたてていないように感じます。体の中にある水分を淀まさず、腐らせず、良い循環を作っていくことが人間の使命である様にも感じます。我を含めての自分でありそれを持って社会に貢献していくこと、自然と共生していくこと。その大切さを改めて感じました。今日も一日、良い循環を築いていきたいと思います。

  3. コメント

    自然との大きな繋がりを改めて感じます。体調を崩している時にはどうしても視野が周りが見えなくなりがちです。しかし体調を崩してみて当たり前が当たり前でない事、一人では生きていけない事、人だけでは無いつながりの中で生かされていることを改めて感じます。又地球の一部であるのであれば、何かしらの貢献が出来るように日々考えて行動していきたいと思います。

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