先祖の計算というものがある、1000年前まで遡ればほとんど私たちは親戚だったという話です。自分の親が2人いてその上に2人いてと計算していくと、その数が当時の人口を超えてしまうのです。
ちょうど鎌倉時代くらいが1000年前なので、源氏か平氏かなどと議論されますがもう少し前になればその別れる前は完全に家族のようなものなのです。変な話ですが、職業や立場が異なるだけでそれが別の人のように身分が分かれましたが本来人は違いはないのです。
つまり、身内が分かれて分かれて今があるということは他人というものはいないのです。
遠い親戚は他人かといえば、血は必ず繋がっているのです。
人は身内という言葉を使いますが、本来は全員が身内とも言えます。
事故や死者が出た時も、他人事ではないのは本来は皆が繋がっているからです。
国民を家族のように天皇陛下も思うのも、本来は身内が増えたということからかもしれません。
私たちは、元々は同じ血を共有しご縁の繋がりの中で共に生きているともいえます。
時代が変わったとしても、同じ家族です。
身分というものが発生してから私たちは区別をするようになってきました。
それだけではなく、あらゆるものを区別することで自他を分けてきたのです。
ご縁というものは、全体との繫がりで物事を観るとき感じるものです。
私たちの出逢いに、無駄は一切ない。
先祖たちの出来事は自分の心に、この身体に永遠に息づいているのです。
新たな時代を生きる今も、その歴史に誇りを持って歩んでいこうと思います。
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お盆になると母の田舎へ帰省し、夕方提灯をもって歩く風景を思いだします。小さいころその風習の意味は分からなかったですが、迎えに行くという温かさは感じていました。住宅街に住んでいた私にとって新鮮で夏の思い出でした。小さいころ感じた感覚とは別の感覚を今はまた感じます。家族の大切さを感じる時季を設けた先祖たちの敬う心を見習っていきたいと思います。
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東京はお盆が7月の為、8月のお盆は家内の実家で過ごしています。迎え火や送り火も、家内のご先祖様を迎えるという気持ちで行っていましたが、今日のブログを読んで、それだけではなく自分自身ともつながるご先祖様なのだと改めて考え直す機会となりました。本当にすべてにご縁は繋がっているのだと感じます。
今年のお盆は自分自身のご先祖様と思って迎えることが出来そうです。
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皆が家族という言葉がとても心に響きました。いつの間にか分けて考えているのは自分だけである事を考えると恥ずかしくなります。今この国の中で起きている様々な問題ももちろん他人事ではないのだと思います。同時に園で困っている先生、子どもたちについてもやはり他人事ではありません。つい流されて分けてしまいがちですが、もとは一緒という事を忘れずに誰に対しても常に全力で関われることが出来る自分で在りたいと思います。