人は誰でも生まれてきたときはやりたいことを持っています。
3つ子の魂というように、幼い頃は魂がむき出しになっているからそれを見守っているとその子が一体どうしたいのかがあるのです。
その子の個性や人格というものは、その子がこの世でやりたいことを証明しているともいいます。こういう生まれながらに持っているものを智慧ともいい、その後に次第に人は知識というものを観に着けて魂が分からなくなってくるものです。
そう考えてみると、やはり幼児期というものは大切でこの時期にどのように過ごしたか、どのように周囲がやりたいことを実現しているかを実感することはこの世で自分も同じようにそう生きることができると自信を持つことにも繋がるからです。
もともと人は自分の力で生きているのではありません。この身体もそうですが、呼吸や心臓の鼓動を含め、空気や水、光などといった周囲の御力で活かされているいのちともいいます。
こういうものを実感し、自分が何をしていればどのようになるのが自然であるのか、そういうものを体験することで子どもたちは後の自らの幸せを得ていくものだと私は思います。
幼い頃に、本物に触れるというものは、その子自身が安心立命できるようにするためにとても大切なことのように思います。
自分がどうしたいかと自問するとき、哲学をしそれを現実に化成するときに智慧が出ます。その智慧を感じることは、自らの魂の向かう先、その使命を実感することになるのでしょう。
常に答えは己の中から出づるものだと気づき、気づきを気づくようないのちの運びを謙虚に味わわせていただきたいと思います。
智慧の出逢い、魂の邂逅に深く感謝いたします。
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幼いころはやりたいことを持っていましたが、思春期のころは自分が何をやりたいのか分からない時期でした。ただその時期を越え、自分の目と耳で観たいと思うものを見聞きするうちに、自分が何をしたいのか、何をするべきか気持ちが湧いてきたように思います。本物に触れることは自分自身を感化し、次への歩みを速めてくれると感じています。日々体験させて頂いていることに感謝し、感じたことを伝えていきたいと思います。
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娘と息子の関わりを見ていると、何とも不思議な関係性を感じます。言葉もしゃべれない息子の事を娘が代弁してくれる機会が多々あります。本当に息子本人がそう言っているのかは分かりませんが、娘が嘘を言っている様にも感じません。また、言葉にならない気持ちのシンクロも多いように感じます。子ども達同士の方が遣りたいことを理解し合い受信し合っていると感じます。魂での会話をしていると感じます。その環境を今は大事に見守っておきたいと思います。
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子どもの頃の何でも遣ってみたい気持ちや、何に対しても疑問を感じる心をいかに大切に見守るのかが私たち大人の役割である事を感じます。私自身はそれが出来なかったようにも思います。しかしだからこそ今の仕事を通して感じる事や伝えれる事も多くあるのだと今は思います。つい子どもとしてくくってしまいますが、子どもである前に一人の人間として見守るという事の大切さを改めて感じました。