鶏が朝早く鳴くのは魂がそうさせるからです、そして植物がそのものらしくあるのも魂です。
もともと自然とは何か、それは魂というものであろうと私は思います。
昨年、セルフイメージに出会い、そして自明というものに邂逅し、自分というものの中にもう一人の自分とも言うべきものをはっきりと再認識することができました。
昔から直観というものを信じ、自分にいつも助けられているもう一人の自分がいることは分かっていました。しかし、そのもう一人はどこか自分ではないのだろうと思い込んでいましたがこれがもう一人の自分であることを自覚したのです。
人は、もともと自分がやりたいことがあり自分らしさというものの輪郭が次第に顕われます。
それを徳とも言ってもいいかもしれません。
人は人格というものが、調和するときそのものが本来具有しているものが出現します。
そしてそれがその自分らしさともいう魂が顕われている状態のように思います。
人は生きていたら様々なことに出会います。
いや出会っているようにも観えますが、最も近い物には出会っていないのです。
まさか自分の中に全体と一部ということが存在しているとは思わないのでしょう。
自分というものは、自のところと分があるのです。
生きているのだからバランスが必要でそれが見える世界と観えない世界なのでしょう。
魂の声にもっと耳を傾けることが、自然を学ぶ要諦です。
かんながらの道の先に、自分の使命が在ることに安心します。
自分らしく生きて、様々な境界線の上で縦横無尽に楽しんでいきたいと思います。
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頭と心で仕分けをしている状態から、どちらでもない環境下で仕事を行なっているときの集中力は僅かでも自他ご一体になっているように思います。自分らしさは周りのことが気にならないときぼと発揮され、気になる環境下ではまだまだ見られて入る意識が強いのだと思います。本当はどうしたいのか、周りの目を気にしない別の角度から、じっくり考えることができる今、気持ちを確認していきたいと思います。
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今迄は自分の心の部分と行動が伴わずに、尚且つそれがおかしいいとも思わないで生きてきたように感じます。しかし今は心と行動の矛盾に気づき苦しんでいる自分がいるのも確かではないかと思います。もっと自然にありのままに生きて行けるように自分を見つめ直し、自分の心の声が常に聞ける状態にしておきたいと思います。
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幸せややりがいとは、自分の魂と出会えている瞬間の事を言うのではないかと感じました。仕事をしていくなかでも、そういった瞬間にであること、またその瞬間をより多く作り出して世の中に貢献したいと思う気持ちが魂との邂逅に向けてくれているのだと感じます。もっともっと自分自身と対話を続けていくこと。本当に魂と会話が出来、その会話を守ることが出来る自分に成れた時には、本当に自分らしく生きられるのだと感じます。