脳が誤魔化す

物事の確認をするとき、一体何のためにやるのかが分かるというものがある。

これは素直な心でなければ、自分の思い込みや先入観から正しく感じることができなくなるのです。人はすぐに自分の脳で考え、分かった気になるものです。本来は何のためにやっているのか、そういうものを捉えずに物事の実相が隠れてしまえばほとんどそれは動作的なものになってしまうからです。

そもそもそういう本質や本当は何かということを忘れないためにも、日々の実践があるのです。日々にやっていなければ、次第に脳で処理した現実の方が実相だと勘違いしてそのうち自分が本質からズレていることすらも分からなくなってしまうからなのです。つまりは脳が誤魔化すのに心が征服されてしまうのです。

本質を捉えるというのは、自分を中庸で維持していることに似ています。

何のためにやるのか、何のためにやっているのか、そういうものをまず一呼吸置いて間をとってから取り組むこと、それだけでも自分が本質からずれなくなるために必要なのです。

例えば、一日のはじめに今日自分が行うことは本当は何かと考えること、そして本当は何だったのかと一日の最後に省みること、こういうことを実践するものだけが周囲に迷惑をかけずに本質からずれず流されないで理念やビジョンを実現することができるように思います。

信念というものも、そういう本質を省みて自分自身を強く正しく向け続ける中で育成できるものであると私は思うからです。自分の都合をそこに入れたり、自分の勝手な楽な方法でその場をしのいだとしてもそれは正しくないのだから素直な心も働かなくなるのです。

直観というものも、自分が本質でなければ働かないように思います。

如何に正しいことをさせてほしいと祈るような日々を送れるか、謙虚に恭しく慎む生き方の日々が素直であるということに他なりません。日々の学びの中で、自分の頭でっかちにならないようにもっと自らの感じ命じるままの実践を楽しんでいきたいと思います。

  1. コメント

    かたちだけの「やっている」にならないためにも、行動の意味を問うこと自分自身を誤魔化さないことであると感じています。人が見ていなければいいのかその問いは、自分のみ知ることです。かたちや偽りのためではなく、本来何のために行うのか、その想いを高めるためにも初心を大事にしていきたいと思います

  2. コメント

    今日何をやるのかと自分に問うと、すぐに答えが出せると感じます。しかし、何のために今日を使うのかと自分に問うと、自分の心や魂と対話をしなければならい為、すぐには答えが出てこないと感じました。頭で考えられるものはパッと出せますが、心で考えるものは、心と通じ合わないと考えられない。だからこそ、毎日の朝に自分に一体何のために今日を生きるのかを問うのではないかと今日、感じました。心と対話をすると心に火が付く様に感じます。その明かりがぶれない自分を作り出していくのだと思います。
    一体何のためにという自分への問いかけは、自分と天とをつなげる呪文のように感じます。もっともっと、この言葉を唱えて行きたいと思います。

  3. コメント

    本当は何なのか、考えているようで実際には考えているふりをしている事が多いのだという事に気づかされました。本気でやっているれば、やはり見た目も含め生活のリズムも変化してくるのだと思います。一日の最初と最後の時間を今日より改めて大切にし実践していきたいと思います。

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