九州の水田の稲が、イモチ病に感染して穂イモチになりあまり収穫が見込めなくなりました。
葉イモチの段階で気付ければ善かったのですが、はじめての栽培ともあり元気よく育っているようにしか見えず気づいたときには遅かったということなのでしょう。反省し思い返せばこの気づくまでの間の時期に他の事件の解決に向けひょっとしたら忙しく余裕を失っていたようにも感じます。
お米は、新しい環境や、新しい土で新しく生きる中でこの環境に馴染んているともいえます。
初年度からの収穫は期待していませんでしたが、病気の予防や対策など来年に向けて色々と課題がありそうです。虫の対策の方に気を取られていましたが、病気の方には意識がなかったようで何でもそうですがもっと丁寧に見守り観察しておくことに気づかせてもらいました。
何もしない農法だからといって何もしないわけではなく、善く観て信じてどこまで手を出さずにいるかというのは自然農の楽しさでもあります。
しかし病気で稲も苦しかったのだろうと思うと、申し訳ない気持ちとよくそれでもここまで頑張ったねと声をかけてあげています。
学びというものは、尽きることはありません。失敗があっても成功があっても、自分の姿勢を見直すのだから学びは試行錯誤の連続の中でいつまでも続いていきます。
特に人にそれを伝えるようなことをするのであれば、視点を自分の視点、作物の視点、それを伝わる視点の3つから学び続ける必要があります。
今回のことからも、病気にならないためには何が必要なのか身をもって学んだような気がしています。風通しや光加減、水管理、温度、湿度など、自然の中でその成育環境に添って必要な見守りを用意していく必要があったように思います。
ここまでよく頑張った稲を褒めてあげつつ、いのちを全うするまでしっかりと見守りたいと思います。色々なことを教えてくださって、そして来年への希望も与えてくださっていつも自然は私の先生です。
自然は間違っていない、間違っているのは自分自身の不自然なのだと気づける感性を磨いていき、新しい我が家のパートナーでもあるあのお米たちと一緒に学びながら絆を深めつつ共に成長していこうと思います。
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試行錯誤を「試みと失敗を繰り返しながら次第に見通しを立てて、解決策や適切な方法を見いだしていくこと」と辞書にあります。試行錯誤は経験則から次第に見通しを立てられていくことに繋がることだと思います。試行錯誤、トライ&エラーと言っても、試す(try)が先にきます。試行錯誤の中で学ぶ体験を、失敗から試す行動へ移すその姿勢から、今後も視点の捉え方を学んでいきたいと思います。
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今回、野見山さんと一緒に畑に出る中で、収穫という言葉の意味も、何を収穫とするのかと考えるきっかけとなりました。作物が出来ることが収穫という意味だけではなく、自然の摂理を知る事や自分自身の不自然さを知ることも収穫であるという事に気付く機会となりました。手早く、大量に、不自然な方法で作ることが収穫ではなく、尊徳先生が仰られるような分度や積小為大といった法則を体験して理解していくこと、体得にこそ収穫があるのだと思います。トータルでみて、全体から見た時に、自分にも地球にも世の中にも良くなる事とは何かと考えて行きたいと思います。
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どんなことからも学ばせて頂いているという姿勢がいかに大事なのかを感じました。今回のセミナーでも改めて見守る、信じる、任せるという話を聞かせて頂きました。頭ではわかっているように思っていてもやはり自分が実践できていなければ本当の見守るや信じるに繋がる事はないのだと思います。実践する中で失敗もあるかもしれません。しかしそれはやはり実践しているからこそ得る事の出来る事だと思います。