人は誰でも生きていれば苦しみというものを持っています。
一般的にはこの苦しみというものは善くないもののように捉えていることがほとんどです。しかし本来はこの苦しみというものからこそ、そこから沢山の素晴らしい出会いや思い出、そして幸せといった生きることの真の妙味を感じるキッカケになっているようにも思えるのです。
つまり昔から苦は楽の種とあるように、楽しみとは苦しみから生まれるように思うのです。
そして苦しみというものは一人で向き合っているときは苦しいだけになってしまいます。
人生では苦しみは避けて通れませんが、その苦しみを善いことへ転じる方法があります。
それは一人で苦しまないということです。
同じ苦しみを持った人に、人生の中で出逢えることは大変な奇蹟であろうと思います。
その苦しみをシェアし、分かち合えば、苦しみは半分に、歓びは倍になっていくように思うのです。これは先日、シンクロニシティがあり実感したのですが大変なことに取り組む時、どうしようもない現実に向き合うとき、そこに自分の中にも深い苦しみがあることに気づきます。
それはトラウマでもあり、自分が超えられない壁の一つで一人で悩んでいたものでもあったはずなのです。そういうものを解決するために、同じ苦しみを分かち合う人に出逢います。そして共に歩み進む中ではじめて苦しみの中にある真の楽しみ、そしてその中で回り逢えた歓びに幸せを実感することができるのです。
そう考えてみたら、苦しみというものを一人で抱え込むことはそういう楽しみや妙味を自らが避けてしまっていることになるのです。それこそが真の苦しみであり、苦しみがつらくなるときのように思います。
人はなぜ人生の中で、善きパートナーに出逢うのか。
それは同じ苦しみを分かち合うことができること、助け合うことができること、支え合うことができること、認め合うことができることのようにも感じるのです。そしてそれを共に乗り越える人を自らが選びご縁を引き寄せているようにも感じるのです。
不思議に満ちているのは、そこに苦があるからのように思います。
苦は決して悪い物ではなく、やはり偉大で尊いものだと実感することばかりです。
何かを誰かを一緒にやっている、それだけで苦しみも歓びも幸せと思えるのです。
こんな絶対的な境地があることを知れば、一人で生きることの無意味さを感じます。
やはりどんな偉人も天才も、一人では生きてはいけないのです。
それは幸せになれないからということなのです。
一緒に生きていくことの素晴らしさを、そして出会いの霊妙さを感じています。
これからも苦を活用し学びを楽しみ、一期一会の人生を味わう背中をもって未来の子ども達と苦を分かち合っていこうと思います。
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楽しさを共有するよりも、苦しさを共有することのほうが、家庭では大切だと感じます。苦しさを共有して乗り越えていくことに喜びと繋がりを感じます。また、一緒にやっていると苦しみが別のものに転じる機会が多くあるように感じます。共感し合い、認め合い、苦しさを受け入れることで楽しむ事や意味があるものへと転換していけるのだと感じます。もっと、一緒に苦を味わい、苦味を楽しんでいきたいと思います。
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世に名を残している人ほど、苦しい体験もしていますが表向きは成功しているところが全面に出されているように思います。苦しみを厭わないほど、物事を受け入れたときに他の人が達しない境地に行きつき、そこにはよき理解者の存在があります。苦しいことも受け入れられるのは、よき理解者の存在が奮い立たせてくれるのだと思います。自分の信じていることをまた信じてくれる人、その存在を大切にし感情を味わっていきたいと思います。
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苦しみを分かち合うという言葉、とても考えさせられます。自分自身で苦しみを抱えている時は、つい何故自分だけがこんなに苦しまなければいけないのかと思ってしまう事もあります。同時に人に相談してもどうせわかってもらえないと思ってきたこともあります。しかし今は仕事を通して周りの人全員が何らかの苦しみを持ち生きている事も感じていますし、何とか共感が出来ないのかと思い、話を聞かせて頂いています。分かち合えれば喜びは倍になって返ってくるという事も今の仕事を通して感じさせていただいています。苦しみも楽しみを共に誰かと味わえるという事がとても大事だと改めて感じました。