人は一人で頑張ろうと無理をすると仲間を頼ろうとはしなくなるものです。
仲間を頼るというものは、一人でやらないということにも繋がっています。
頼れないというのは、信じる事が出来ないということの裏返しでもあるのです。困ったことがあれば、仲間に相談することや、悩んでいることがあれば仲間に吐露すること、苦しみがあれば分かち合うことではじめて人は信頼関係を築き上げていくことができるのです。
もちろん信頼には誠実さというものがあり、自分にも他人にも正直にいることが重要で自分自身への信頼度合いこそが他人への信頼度合いになっていきます。ですから、自分に克ことができている人や、自分を尊重している人、自分に素直な人ほど周囲から認めてもらえるのです。その逆に、自分を認めない人や、自分に甘い人、自分を蔑む人や、自己中心的な人、自分に厳しすぎる人はかえって周囲から信頼されにくくなってしまうのです。
これらはすべて一人で頑張るという悪循環から生まれてきているようにも私は思います。
責任というものは一人だけで取れるものなどほとんどありません。社会の一員、組織の一員、会社でも一員である以上、周囲を頼りにしながら任された使命を正しく成就実現していくのがその責であると思うからです。それが社会人の自立ということになるのだろうと思います。
自立ができずすぐに自分が負いこまれてしまう人は、自分が全部一人でやらなければならないと思うばかりで仲間に頼ろうとしない、助けを求めない人に多いような気がしています。つまりそんな過酷で孤独な状況になってまでも自分一人を自分一人でいつまでも責め続けているのです。これはもちろん、トップダウンの組織で育ってきた過去があったり、それを誰かにやられたりと、今の白黒はっきりさせる単眼的な社会の中でトラウマ的に自分がそれで傷ついてきたからだとも感じます。
しかしだからこそ、自分を変えてもっと仲間を信じる事や、もっと自分を見守る人を信じる事、もっと周囲の温かい真心に自分を委ねながら取り組むことなどを通して、決して自分から一人ぼっちにならないように常に意識していくことが自立にはとても大切なように思います。
それがチームの一員としての自覚、つまりは仲間を信じるという黄金のルールになるのです。
会社でも自分から仲間を頼っている人は、常に仲間に遠慮なく頼れますし、自分も頼りたいのだから日頃から頼られやすいように情報を共有したり、御互い一緒にやっているというメッセージを発信しあったり、些細なことを助けてもらっていたりと日頃から何かを頼みあっているままに働いています。
一人で頑張るよりも、仲間に頼る事の方が本来は勇気がいることだし素直であることのように思います。信じるという実践は、もっと仲間を信頼していく実践からのように思います。一人でできるようになることが自立ではなく、仲間をつくりそこに頼りあうことができるようになってはじめて自立であることのように思います。
遠慮なく頼れる関係が持てるよう本音や本心がでているフラットな絆を紡ぎながら、日々に「自分たちは最幸の仲間なんだ」ということを決して忘れないようにしていきたいと思います。
人類は、人間は仲間を創ることができてはじめて自立するのだと私は確信しました。
子ども達のためにも、仲間を信じることの尊さを自らの実践で伝えていきたいと思います。
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自然農で言う、草も虫も敵にしない共生は、お互いを活かしあう生き方そのものだと感じます。仲間を募る方法は輪を拡げるだけでも、敵を増やさないことでもないように思います。お互いを必要としあうときに、自立が促され組み合わせ次第では、まだまだ拡がる可能性はいくらでもあります。言葉の定義を敷き直すことが、行動への変化を伴うようにも感じます。
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素直な自分で居たいと改めて思います。素直になれない瞬間に、妥協や不安、相手への信じる力の欠如が生まれる様に思います。素直で居られたときに、信じる力や自分自身が生かされている実感、共生の概念を感じるように思います。家庭でも仕事でも生き方として素直さを貫く事。とても大きな挑戦のように感じてしまいますが、実は踏み込めばそうでもなく、新たな世界が見えてくるように思います。もっともっと、違う世界へ。挑戦していきたいと思います。
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昨日の話の中にありました、「自立とは、全ての物やことを自分の物や事と思わない事」という言葉がすぐに出てきました。ずっと課題であったにも関わらずその部分と向き合う事すら出来ずに逃げていたのだと思います。先ずは会社があるから自分があるという事の本当の意味をしっかりと学ばせていただきたいと思います。