自然界では様々な生態系が繋がりの中で共生しいのちをめぐらせています。そこには無駄というものが一切なく、様々な活動そのものがお互いに必要な貢献につながっているのです。
それは生死を含めて、すべては自然の中に活かされる存在とも言えるのです。
しかし実際は、人間たちの都合で必要と不必要を分別し、思い通りにするために有害無害を決めて自然を征服しようとするところから様々な問題は生まれてきます。
そのことが活かそうとするという観点を失わさせているように思えるのです。
本来は自然とは、活かしあう関係の中で成り立つ世界です。
例えば、自然農を取り組むにしてももしも農園が野生化されたところで行うのなら野生化したままでそれを活かすような方法を考える。また人間の中で炉利組むならば、人との関係の中で活かすようにする。
常に何でも活かそうとする関係、どんなことでも活かせるのだという確信、そこに本来の原則と法理である自然あるがままの姿があるように思うのです。
この活かすというのは、無駄がないことであり、もったいないということに気づくということです。
この世は、八百万の神々が存在するように一つですら要らないいのちなど存在しません。
こういうことを学んではじめて、いのちを活かすという観点を持てるように私は思うのです。
天の心を学ぶには、天の在り方を学ばなければなりません。
自他を活かす共生と、その絆をつないでいる貢献というもの、そこに自然があります。
すべてのものを活かして、セカンドシーズンを迎えていこうと思います。
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四季の巡りに従って学び、次に活かすことのできる環境に感謝しなければならないと感じています。地のものを頂くのがいいように、その時期に適した学びを次の巡りで活かせるよう、課題を前向きにとらえ自然から学びを深めていきたいと思います。
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今の時代は、不自然だからこそ無駄が無駄を生みそして又不自然になりそれを繰り返しているように感じます。昔は与えて頂いた環境の中で様々な命と共生していたのだと思います。
だからこそ、全ての物への感謝を忘れずにいたのだと思います。本当の意味での自然の中には無駄が無いという事、不自然だからこそ無駄という物を作っているという事を常に意識していきたいと思います。
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週末に登った山では、一時期登山客が捨てたゴミを求めてキツネが上まで来るようになってしまい、その影響でライチョウが全滅してしまったということや、人が入り込むことで地形が変わってしまったということが在りました。人間が自然界に入るという事は何かしらの影響があるのだと感じましたが、どのように良い影響、活かすということにつなげて行けばよいのだろうかと感じます。
邪魔をせず、助け合える関係づくりを思うとまずは、汚さず、残さずいること。そして助けられることを探すことから始めて行きたいと思います。