純度を上げていくというものがある。
もともとの品質をさらに磨き上げていくという意味でもあります。
不純物が混ざってくると本来の純度は下がっていくという感じのものです。
これは何を言うかといえば、自分自身の生き方にもよるものです。
人は他人の評価を気にして、本来の自分らしさよりも周囲への仮初の自分を演じます。
そうすることによって、本来の自分がどのように成長しているかも分からなくなるのです。
そもそも本来の自分が他者の目線を意識しすぎて歪んでいたら、自分らしさの純度は観えません。自分の純度とは自然体であるとき、また自分らしくいてもいいと安心しているときに高まっているからです。
そしてこれは自分の意識を自分にあわせて他人からの評価ではなく自分で評価ができるようになるときに高まります。もともとの自分がどうであるのか、それは自分に矢印を向けて周りや相手を意識しないときに感知できるものです。
また自分自身が一心に実践を続けていく中で自らの未熟さを覚り、自分自身と正対し、学び変化し続けることでその純度もさらに上がります。
つまり自分の品質は、自分で管理して自らの実践で上げていくしかないということです。
人は成長するとき、生きがいを感じますし、成長していると実感するときモチベーションも上がります。これは純度が上がったと感じているからです、そしてその純度は自分らしさの純度であり、本来の自分というものに出逢っていくプロセスを楽しむことができているからです。
自分というものを向き合うとき、周りが気になるのはまだ本来の自分に出逢おうとする意識が低いからのように思います。無難に生きる事よりも、自分の純度を上げていくことで本来の自分のポテンシャルに気づいていくことこそが自分を成長させていくことのように思います。
成長とは、自然であり、自然はそのものらしさを存分に発揮していくことのように思います。
子どもたちがらしさを発揮できるよう、自分らしさの純度にこだわっていきたいと思います。
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品質を高めることを考えるとよく言われる、量を質に転換することがあると思います。加えて、確度の向上、経験値が必要だと感じています。しかし、弟ということもあってか、模倣することで経験として得る情報の豊富さも感じています。自分がするよりも先に兄が経験し、それをまねて学んでいたように、すでにある体験をよりよいものに変えていくことが役割であると感じています。会社としての質に磨きがかけられるよう、常に前進していきたいと思います。
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自分自身が何をしたいのか、を自分自身に問いかけていくと、その答えには周りをみて考えた答えや、常識から考えた事、普通はという言葉から考えた事などがあるのだと、昨日の野見山さんとの話で学びました。そういったものを取り払って行きながら自問自答して行く事で、自分らしさの純度が上がるのですね!早速取り組んで行きたいと思います。
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以前は周りの目ばかりをきにして生きてきたように思います。結果的に何が自然の自分なのかという事を知ることも出来なかったように思います。同時にこうでなければならないと自分を作ってきたのもあるのではないかと思います。自分らしさを出すというのは今の自分にとってもとても大切な部分です。もっと感情をさらけ出し、周りを意識するのではなく、自分と向き合っていきたいと思います。