毎月、会社では「だんらんち」というものがあり昨日もその実践を皆で楽しみました。
今年は特にテーマが発酵であるため、菌から学び、菌を取りいれ自らを発酵させていくことでチームの本質や元々の共生の在り方などを学んでいますから発酵食品ばかりです。
昨日は、きのこを使って料理をしましたが私にとっての料理とは自分の思想の表現方法の一つでもあります。特にカグヤでは玄米クッキーというものもありますが、あれもカグヤの実践を伝えるものとして心を載せていくことができます。
だんらんちについての会社の意味づけですが資料ではこうなっています。
※会議日の昼食は、「だんらんち」を実践する。【目的】①共食・団らんによって、仲間意識を高めるため②季節のイベントや旬の食材、玄米や重ね煮、発酵食品等、食材やメニューにこだわることによって、健康促進と共に、自然への意識を忘れないようにするため③手間や心配りを大切にした、手づくり料理により、心をこめた豊かさを楽しむため。
これを確認すると分かるように、料理も食べることも食材もすべて意味づけがあるのです。
つまり何でもそうですが最も大切なのは「何のためにやるのか」であるのです。
それがあるのとないのでは意味はまったく異なってきます。
同じことを実践していても、基点となっているところが本質的であるかが大切だと思うのです。
きのこ料理でいえば、今の旬の秋の恵みをいただくことも感じられますが同時にたくさんの種類を煮たり、炒めたり、炊いたりすることで、より偉大な調和を感じることもできます。
12種類ほどのものを用い使いましたが、ほとんどの味付けは必要ではなくそのものの持ち味が活かされて私たちはそれを味わいます。
そしてきのこがなぜ協力したカタチであるのか、そしてその形成のプロセスを学ぶことでそのものからなぜきのこなのかを知るのです。好奇心も心の働きですから、そうやって心を遊ばせていくのも学問の素晴らしさで共にそういうものを感じることが育てることにも繋がります。
人はつい目先の動いていることや、あっていることばかりに目を奪われて本質を考えませんがそこにどんな意味があるのだろうか?それは一体何なのか?を思うことは何よりも大切です。
そして全てのやることが、何のためにやっているのかを感じることが理念から学ぶことだと思います。
本質であることが理、そしてそれをカタチにしていくことが念、その両輪が日々の実践を通して浸透していくということだと私は思います。
私にとってのこのだんらんちは、理念を浸透していくための大切な機会です。
これからも遠慮なく料理を楽しみ味わい、心を通じて表現し伝えていきたいと思います。
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目的の理解をこれまでの経験から判断する自己解釈と、理念から行われる行為・営みとでは周囲の意識・質も変わると感じています。
やっていることは同じに見えても、そこになぜやるのかの本質を理解するためには、実践して感じることの大切さがあります。本を読むときでも、文面を読み理解したつもりになっても、実践から意味を気づき、改善していくプロセスに至らなければ、
理念として成り立たないと感じています。何のためかを見失わないためにも、実践することで意味に気づき、見出して生きたいと思います。
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今回も、食材を深く洞察していく野見山さんの目線からきのこのチーム力ややり切る理由を学ぶ機会となりましたが、一つ一つが自然の摂理とつながっていて、今まで意識もしていなかったというよりもむしろ繋がっていないと思っていた事であり、自分の刷り込みに気づく機会にもなりました。この世に居るのだから、自然とは必ず何かしら繋がっており、そこには必ず何かの理由や知恵が含まれているのだと改めて感じました。一つ一つに、繋がりを見つける事。これは最近の自分自身の中でもやはり大きなテーマだと感じます。
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食すという事について改めて考える事が出来ました。特に会社の昼食では皆で顔を合わせながら食べるという事の大事さも感じます。今の時代はあえてそうでない方を選ぶ人が多いのかとは思いますが、昔は食事を通して相手を知り、食事を通して命のありがたみを感じ、食事を通しての学びがきっとあったのではないかと思います。これからも会社の理念の実践を行いながら深めていきたいと思います。