プライドについて考える機会があった。
よくプライドというものは、あの人はプライドが高いとか、あのプライドが邪魔をしてとか悪く使われることもありますが、他にも、あの人のプライドがかっこいいとか、自分にプライドを持っている人だからとか、それが善く使われることもあります。
このプライドとは、外向きのものと内向きのものがあると思うのです。
外向きというのは、外側へ対しての体面や体裁、自分がどう思われておきたいかといった外側に対する虚栄心から自分を頑なに守ろうとするときに使われます。自分が周りから思われたい自分像から異なるのを頑なに拒み他人のいうことを素直に聴かなくなっていくのです。これは世間で使われる良い意味ではない方のプライドで、それが高いとか鼻につくというのはそう思われたいという自分の欲から生まれます。
そしてそれはいつも誰かと比べる自分というものがその発想の根元にあるということです。
もう一つに内向きのものがあり、これは自分が決めたことへの揺るがない誇りや、内省によってこんな自分は嫌だと決めた生き方、つまり自分で決めた自分のハードルは下げないというときに使われるものです。これは常に自分に矢印の生き方を貫くことをいい、素直に他人の助言やアドバイスを聴き容れ、自分の間違いは正していこうと自分自らが厳しくチェックすることを優先するのです。これはとても素直で直向な人のことをいい、そういう人の生き方見ていたら大変清々しい気持ちになり、そしてその人の成長が自分のように嬉しく思えるのです。
つまりこのプライドは、周りから見られて自分でねつ造した都合のよい自分像を守るために使う人と、自分の中で決めた自分像を守るために信念を持って自分と正対するときに使う人がいるのです。
プライドが高い人は、すぐに自分を守るために嘘をついたり説明をしたりと本当の自分をさらけ出そうとしません。そしてそれは、単に自問が不足していて自分で自分のことを決めないからであろうと思います。
これからどんな生き方をすると決めたか、自分が大事にしているものは何か、そういうものを自分から先に大切にすること、それが自信になり信頼を広げていくことができるのです。
表面上の仲良しよりも、まず一番身近な自分と仲良しになる方が大切なのです。だからこそ、自分が先に決めること、そしてそれは誰のせいにも何かのせいにもせずにまず自ら決めたことに誠実であること、それを常に死守することがプライドを正しく転換していく方法であると私は思います。
周りを見過ぎるのは自信がないからですが、自信とは自分で決めてそれを遣り切ることで自分が好きになるから信じることができるのでしょう。もっと大事なことは自問自答するということを大切にしていくことを子どもたちに示していきたいと思います。
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自分に課した問いに答えが出ないのは、納得するまでの自問が足りていないからだと思います。問い方に誤りがあるにせ答えを出し進むこと、破壊と創造を繰り返し最善案を提出したいと思います。
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自分の心に問いかける事が大事だと改めて気づかせて頂きました。今までの自分は周りの言葉ばかりを意識して、いつの間にか心とは違う一面を作り上げてきたのだと思います。しかしその事にも気づけた今を大切にしたいと思います。もっと問いかけを行い、ありのままの自分でい続けるようにしていきたいと思います。
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自分が気付ける、自分自身以外にも自分一人では気付く事ができない自分自身がある事を自覚する事が大切だと感じます。その自覚が新しい事を挑戦させ、新たな自分に気付いたりするように感じます。自分の問いに、本当に自分の感情が正直に答えているのかを良く聞き、分からないなら新しい事を挑戦してみるという事を大切にして行きたいと思います。