先日から民芸に意識を合わせていたら玖珠の童話館との縁があり、昭和の初めに版画雑誌『白と黒』を主宰した料治熊太の作品展を拝見する機会があった。
そこには版画だけではなく、数々の世界の民芸品や玩具が展示されていて素朴さという意味を深めるのに大変な参考になりました。
それに、次回訪問予定の日本民芸館に繋がる面白い情報もたくさん入手し動いてみるといろいろと気づくことがあり心はいつもそういうものを捉えていると実感できる学びになりました。
この料治熊太という人は、版画誌の育成発行や郷土玩具の収集と研究などで功績を持つとともに棟方志功や谷中安規などとも関わりが深い方です。
一見、失われていくとも思える美に一石を投じてそこから新しい美を育成していくというようなその観点を感じることができました、特に郷土玩具では、あまりにも大量な玩具の量に圧巻でしたしその個性や美しさ、その素朴なものにどのように子どもの遊び心が動いたのかを観察しました。
私にとっては、今の時代のように複雑な情報が飛び交う中で豊富に溢れたものを追っていくような表面上な遊びよりも、まるで林の中で冒険するときのような、また浜辺で砂遊びをするような感性を呼び覚ます美に観えました。
遊びといっても、何か脳を刺激するものではなく、心が遊ぶようなものはとてもシンプルで素朴なものの中に存在するように思います。脳が行う情報遊びではなく、心が行う自然遊びであるのではないかと実感しました。
価値のあるものというものは、人間が設定したものと、もともと価値のあるものという見方があります。かんながらの道でもそうですが、そのものの価値というものは一見大変素朴すぎて美を感じることもできないような偉大なものの中にあるように思います。
それが葉っぱ一枚であったり、松ぼっくりのカタチであったり、どんぐりでも、花でもそうですが自然が何よりも美しい証拠を表現しているからです。簡素でシンプルな美とは、私にとっては自然美のことです。
白と黒というものも、美を真ん中に据えているときに実感できる無限色であろうと私は思います。自分を磨くのは自然、常に自然と遊んで新たな境地を自明していきたいと思います。
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21_21へ行く機会があり、クリエイターの仕事・思想がどのように展開するのか学んできました。藝術の「藝」の原字は「埶」で「木」+「土」+「丸」の会意文字で両手を添える様を示し、植物に手を添え土に植えることをもとは意味し、のち、さらに「艸」を添え、「蓺」として、植物であることが強調された、とのことです。仕事の参考にされていた書籍や展示品、日本の伝統文化を見ても自然が取り入れられ、形作られていることに気が付きます。作り手の思い、両手を添える作法、大切にする思いから形作られることを学ばせて頂きました。
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昨日は娘の七五三で明治神宮へ出掛けました。
着物を着ようと、御構い無しに遊ぶ娘の遊びは、どんぐり拾い、葉っぱ集め、木の枝で辺りをほじくるなど、持ってきたおもちゃではなく自然に心が動かされているのを見ました。すると、私にもその感性は伝播して、辺りの見え方が変わりました。自然に心が合わせるピントに気付ける自分で在りたいと思います。
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心で感じて心で遊ぶ事など今ではそのような機会がとても少なくなってきているように感じます。実際に私の子どもの頃は、遊びを通して多くの事を感じていたのだと思います。ドキドキする気持ちもあり、皆で挑戦したいという思い、そこで失敗して辛いと思ったことや心から嬉しいと思ったこと等様々です。心を揺れ動かすことの大切さを感じます。