一昨年、念願の高野山を訪れたとき私は空海の軌跡からいくつかの真言に出逢うことができた。
今では当然と言われるかもしれないけれど、空海の遺す足跡にはすべてに真実があり、その言葉その意には常に誠があり、目指した心には常に普遍的な実践と徳と思いやりがあるように思えた。
どうしてもずっとお会いしたい大切な人の一人だったからこそ、少しの形跡からも多くの感動を得ることができ本当に感謝しています。
高野山では、毎朝、即身成仏である空海にお食事を運ぶ。私はあの朝の光景、行き来するあの修行僧たちが厳かに静寂とともに行う祈りと作法の姿が心に刻まれ今でも鮮明に覚えてあの時の時間が忘れられない。この世にまたいつものように生まれ死に巡りいる私たちが決して忘れてはいけない意味がその行動により示され続けるということ。
心を伝えることは何より行動によるものだと改めて感動することができた。
空海は人が生きたまま仏となれる即身成仏をすることを語り、無常にそして永遠に繰り返される輪廻の中で悟りの道を実践し歩んだ。そしてその独立一人、真実の信仰を座右に厳正に道に正対する姿に、人々の心を救い人間を弘く導くという偉大な誓願を立て、自らがその真理の体現をなさった。
あの日も早朝の暗闇から次第に光がさしこみ、周囲を照らし大いなる自然をみせるあの山での光景の感動に空海の遺戒、「生まれ生まれ生まれ生まれて生のはじめに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥し、、、」の本当の意味を考えさせられる機会になった。
何度も生まれ死んでいるのになぜ人はこの悟りに気づくことができないのか、迷う人たちは迷っていることを知らず、その苦しみから逃れられないでもいれるのか、せっかく生まれてきたのだから光の世界を歩もうではないかという強烈な発心がある。
なぜ生まれてきてなぜ死んでいくのか、そういうことを正しく理解できているからこそ、蓮のように闇のまま光になることを望み、そのまま生きて仏になるという壮大な矛盾を受容した新しく示した死生観のモノサシを立てることができたのだと思う。
私もこれを会社ではオルタナティブという言い方をするけれど、私の言うオルタナティブとは以上のような壮大な矛盾の中で一円融合した新しいモノサシであるしそれは平和や安心などの境地を招くことを問う。
これは今を生きる私たちに於いては、「未来未来未来未来のはじめに暗く、過去過去過去過去過去のおわりに冥い」だからこそそういう日々を繰り返していて同じようになるではなく、深く学問し、実践し、創意工夫により新しい悟りの道を志すことでそれぞれに真に心を得なさいというようなものだろうと私は思う。
未来や過去のその空間気間にこそ、天人合一があり、其処にだけ命や魂の意味がある。
私がいつも一期一会でいたいと思うのは其処に真の心が定まっていると思っているからだと思う。
話は変わる。
空海は、日本ではじめて庶民教育学校「綜芸種智院」を開設した。
その学校の特色は、「だれもが自由に学びたいものを学べる」「幅広く専門外のことを学び、視野の広い人物を育てる」「完全給費制とする」という3つ。
この時代は、高級官史や貴族しか入ることができず学べなかったものを貧しい庶民のために門戸を開き儒教・仏教・道教などを創造的に学べるようにしている。人に差別なく、真実や真理を広く学ぶことで道を志す人たちをたくさん増やしていくこと、その柱になる学校をつくるということ。
これは空海、長年の夢だったそうだ。
その総合的教育学校「綜芸種智院」の開校の際に、空海が寄せた念ず言葉に下記がある。
『物の興廃は必ず人に由る。人の昇沈は定めて道にあり。』(性霊集)
(世の中がよくなるのもわるくなるのも、すべては人にある。人の生き方を決めるのは道を求める心である。)
これは、私自身もそうだけれど最初は手探りでも人は体験や経験を通じて、様々な真理と出会い、それを学問によって広く深く学んでいくことで道が現れ自分の命の為すべきことを知ると言うようなことに繋がっていくのではないかとも思う。
いつの時代も、どんな環境下であっても本来世界を易える方法はそんなにたくさんあるわけではない。それぞれに時代や環境にあわせて創意工夫していくことは必要だけれど、変えるには道を志す人をたくさん弘げることにある。
一人でも多くの人たちが、未来に対して、またこの先を生きる人たちのために自らの生と向き合った真実を志と道により示していくことこそが重要で、その道により人々は様々な天や自然からの声に気づけ、幸福と譲り合い、助け合い、素晴らしい世界をまたひとつずつ創造することができるのだと私は思う。
先人が遺した何よりも大切なメッセージをどれだけ私たち子孫は受け取れるか。
それは時空を超えた実践との邂逅であると思う。
これからも子どもたちのために本来あるべきようを見つめ日々の行動を一期一会に学んでいきたい。保育の道も今の仕事の道も私の人生の道もかんながらの道もすべてはこの弘法大師と同行二人の行脚の菩薩の道だと思えばとても豊かで幸せな気持ちで愉快に歩くことができる。
時間差がありましたが、真剣の最中に、出逢えた何よりの有難い贈り物に心から感謝しています。
コメント
人間は生まれた瞬間から、生老病死の苦しみからは逃げられないということ、まだ誰も知らない「死」という恐怖から逃れられないこと、それと向き合うことの大切さ、そして其れゆえに命を無心に使い切ることの大切さを教えて頂いたように感じます。
まだまだ、意味を感じ取ることができませんが、自分の理解をそこで留めず、探究してきたいと思います。
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聖書でも神様と食べてはいけないと約束していた実を蛇に唆され食べてしまったときから人は知恵を授かり、知恵に苦しめられるようになったっとありますが、人間の歴史にはいつも人を人が支配することを繰り返しているように思います。
どの時代の権力者も全ての人に対し平等に接しようとし、人の尊さを様々な形で世に伝えているように感じますが、作曲家のモーツアルトも幼いころから王室に使え、権力者からの注文を聞き、作曲活動を継続していましたが、晩年は全ての人に音楽のある潤いのある豊かな生活をおくれるよう喜劇「フィガロの結婚」を通じ改革に務められたとのことでしたが、今ある自分たちの自由で豊かな生活も当たり前と思わず、先人達の命をかけた権力との戦いの積み重ねであることに敬意と感謝を忘れずに大切に過ごしていきたいと思います。
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部分を学ぶのではなく、先人の遺した実践により、その道理を学び、何があるのかに気付かな
くてはいけないということを考えさせられます。
生きようとする力は何よりも強く、日々に流されるのではなく、自らが志を持って、子どもの
ために、次代のために何が出来るかを考えて、深めて学んでいきたいと思います。自分の身の
周りにも気付かなくてはいけないことが実は多くあり、生き方に直結していることを知り、
自分の在るべき様を見直さなくてはいけませんね。