感情を調和していく中に、感動するというものがあります。この時の感動には、御互いに同時に感じることができるという感覚があるように思います。
例えば、何かを与えるときそれを受け取る方も同時に何かを交換します。一見、何かを渡す方は失うのですが同時に得ているものがあり、何かを受け取る方も得るのですが同時にさらに得ているものがあるのです。それが感謝です。
この感謝というものは、与える側も受け取る側も同時に得ることができるものであろうと思います。そしてそれはお互いに心を通わせあい味わうことでより鮮明に得ることができるように思います。
他にも信じるというと任せるというものも信じる側と任された側の信頼関係を同時に交わすのです。
つまりは、私の言う同時というものはバランスのことでもっともお互いが同じパワーバランスでいることも同時なのです。どちらかだけが行うものではお互いのバランスは調和しません。
先日もある会議の中で、司会進行と聴く側の力が同時でないとその力は発揮されないという話もしました。これは複雑系の中でも話がされる、調和の力、同時のことを言うのだと私は信じています。
みんなの力を合わせるのに「せーの」という掛け声もありますが、あれこそが全体の集合智、つまりバランス感覚であるように思います。
自分から主体的に相手の問題意識に合わせていくことや、自発的に自分の持てる力を存分に発揮していくことが同時を引き出していくように思います。相手を見て自分の力のさじ加減をしたり、遣り切っておらずにできそうなところをやっているのではお互いに交わし合いや通じ合いというのは起きません。
相手もきっと大変なのだろうからと思いやり、人事を尽くすとき同時は調和するように思います。力を合わせることも日々の鍛練と訓練のように思います。学びを体験に換えて子ども達に還元していきたいと思います。
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普段仕事をしていると相手任せにしたり、相手に責任を押し付けたりしている事がやはりあります。それとは逆に仕事をしている中で何とも言えない充実感や、何とも言えない満足感を味わう時があります。その時はお互いが自分から遣る事を決め、尚且つ同じ分だけ責任を取ろうとしている時だと思います。自分だけが何故こんなにもと思いがちですが、そんな時こそ相手の気持ちはどうなのかをしっかりと考えたいと思います。
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油断して不意を突かれた質問に返せないのには、相手との意識の差が生じているのだと思います。議事など役割があると、発言が控えめになりがちですが役割であって業務での参加ではない意識を持つことが必要なのだと思います。役割・業務意識の持ち方で全体の雰囲気を決めることになり、業務参加ではなく会議をデザインする主体として、新たな形を見出していきたいと思います。
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昨日、改めてアクティビティを体験して感じたのは自他の壁をなくす事、一つの事に同時に取り組む事なのだと感じました。そして、同時に百パーセントの力を出すからこそ、スパークのような感覚を味わえるのだと感じました。一体になるというよりも、一体である事に意識を置いて行きたいと思います。