お互いの信頼関係を深めていくのに、御互いを分かり合うというものがある。
自分のことを分かってもらおうとすると、相手も同じように自分を分かってもらおうとするものです。それがもしも自分の方が分かっていると認めていけば、同じように相手も分かっていると認めるように思います。
これはお互いに信が入るからで、自分のスタンスがどちらかということを御互いが確かめているからです。コミュニケーションというものは、きっと分かってもらえないと思っている人同士が話をするとこじれます。その反対に、お互いが分かり合おうと努力するとそこに思いやりが生まれていくように思います。
論語にこういう一説があります。
「人の己を知らざるを患えず。人を知らざるを患う。」
これは「相手が自分のことを分かってくれないと気にするよりも、自分が相手のことを分かろうとしないことを気にしなさい」という意味ですが、これは的を得た素晴らしい実践だと思います。
大体、自分のことで精一杯というのは相手や周りへの思いやりよりも自分のことを分かってくれない、なぜ自分だけがこんなに大変なのかと常に周囲に不満の矢印を向けているのです。そういう状態では、自分からいつも相手のことを分かろうと努めるよりも、なぜこの人たちは自分の境遇を分かろうとしないのだと思いやりではなく敵対心のようなものを抱いてしまいます。
一言でいえば余裕がないということでしょうが、これは自分のことを分かってもらおうとし過ぎているから起きることであり、もっと自分から先に相手のことを分かろうとすること、気に掛けること、思いやる事や心配することを行うことで抜けていくことができるのです。
そうやって孤立し、一人だけで抱え込むから余計に他人の助けが得られないように思いますし同時に人を助けることができなくなるのです。
そもそもなぜそれを自分がやるのかと本質を省みてその後、きっと自分が大変なのは周りも大変なのだろう、だから自分がさせていただくことになったのだと同時に思いやることが自分の役割に気づくことだと思います。
人はみんな何かしらの役割があって困難を持ちます、それはその人にもっとも相応しいことを体験することではじめて周囲への共感を味わうからです。それが自分にしかできないことの発見であるように思うのです。
これは頼まれごとを断らず誠実に真心をもって取り組むことで、次第に自分の世の中での役割が観えてくるということかもしれません。
そして自分と同じような境遇の人がどれだけいるか、その人たちのために自分がさせていただく、自分が学ばせていただくという謙虚で素直な姿勢があればそれを乗り越える過程やその共感そのものできっと誰かの御役に必ず立つことができるようにも思います。
大変な仕事や難しい仕事を引き受けるのは、自分がそれだけの役割を持ちたいと願ったからです。仕事でいえば、上司になるや幹部になる、大きなことを任されるようになる時には誰にせよ通る道なのでそれはきっとみんなそうなのだと分かろうとする方がいいように思います。
論語の中で弟子の顔回が、「大変な仕事やつらいことは自分が代わり、自分にしかできないことを手伝い行うようになりたい」という一説がありますがまさにこれも同時に思いやりを目指す自ら決心した生き方の言葉のように感じます。
本来は自分が目指していることなのに嫌な感情を持つことはありますが、実はそれは元々は自分が選んだ道、自分の決めた道なのだと感じ直すことであろうと思います。その自分で決めた道に自分で文句を言っても仕方がないのでやはりそれを素直に受け容れてまた一歩と歩むことが尊いように思います。
自分で決めれば、嫌なことはつきものですがその嫌な事よりも美しいものも同時にそこには存在するように思います。大変行い難いものですが、そういう時こそ修行や錬磨の機会、目指している姿に近づけるチャンスだとして日々に内省し精進していきたいと思います。
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地に足がついていない実践は感情との向き合いにいつも突きつけられます。訪れる境遇に対し不満を感じるのは、願いどおりではないと自分自身の見る目が曇っているからなのだと思います。顔回の素直さには頭が下がります。「仁者は必ず勇あり」。謙虚・素直を心で感じ実践していけるよう、現状を受け入れ進んでいきたいと思います。
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相手に求める前に常に自分からという姿勢がやはり大事なんだと今は特に思います。何故周りは解ってくれないんだろうと思えばきりがない事は多くあります。しかし冷静になり自分は逆にどれだけ相手の事を解ろうとしたのかを考えると反省させられます。どんなときも自分からという姿勢を忘れずに実践していきたいと思います。
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じぶんがあっての周りなのか、周りがあっての自分なのか、その捉え方が大切だという事は理解していながらも実際の行動はそのようにはなっていない事があると振り返ると、感じます。それは、自分の中でちゃんと良い事、有難い事、感謝に変換出来ず、腹落ちしていないのだと気付きました。まだまだ、人生は楽しめるのりしろだらけだと感じます。もっと良い事にして行きたいと思います。