世の中で話が出ているゴールイメージについて私なりに考えてみます。
人は生きていく中でその場面場面に、ゴールイメージを思い浮かべます。そのゴールイメージが鮮明に明確である人はブレナイ人といわれて感情をいつも善いコンディションに保ち次々に自分を創りあげ現実を理想に近づけていくことができるようになります。
そのように成功体験の多い人というのは、その成功のイメージ、つまりはゴールのイメージを自分の心に明確に持っているともいえます。まるでドラマのラストシーンのように栄光に輝いている自分像、もしくはその場面を想像している人はそのシーンを場面場面でいつも体験することができるのです。
しかしこの逆でいつも失敗体験の多い人とは、その失敗のイメージ、つまりは良くも悪くもゴールに描いてしまうイメージを悪い方へと引き寄せてしまうのです。そのとき感情にもっていかれて、自らその悪い時のイメージそのものになるように体験してそれを何度も繰り返していくのです。
昔、バレーボールをしていたときによく試合中に流れが悪くなると「負けが入る」時がありました。これはどのスポーツでもいえることですが、ふと悪いイメージを持ってしまうのです。このパターンは負けてしまうと思うときに、次第にそのシーンが顕われてきて結局はその通りになってしまうというものです。それを払拭するために、負けが入りそうなときは成功イメージ、つまりは逆転して劇的勝利といったようなイメージを思い浮かべて感情を楽しい方へと向けたものです。そのために必死に練習したり、弱点を克服した自分を思い浮かべたり、今は違う自分たちだと皆にエールを送り念を合わせたりして乗り越えたものです。
つまりこういうとき、場面と感情というものは常にイメージとセットになっていて、自分がこうなりたいと思うことや皆でこうしたいという強いイメージがあることで其処に向かってはじめて「ゴールイメージ」が顕われていくのです。
感情というものは自分の心の描く姿とセットになっていて自分が嬉しいと思うこと楽しいと思うことのままに現実の世界に投影すればそのまま顕われ、逆もまた言えるのです。善いイメージを持てるかどうかで勝敗が決まるかなどとは簡単には信じないでしょうが冷静に観照するとほとんどがそうなっているのです。
ポジティブな考え方というのは、この善い方の感情でいるということに他なりません。最初からネガティブで悪い方ばかり、上手くいかない方ばなりを考えていると次第に感情も過去の失敗体験にアクセスしてそれを引き寄せてしまうからです。そしてそれはとても用意周到で自分でも気づかないうちにそうなるような仕事の進め方、自分の関わり方、全てが感情によって周りを悪い方へと導いていくのです。
そして自分を責めるというのも、その過去の感情を何度も引き寄せおびき寄せる行為に似ています。自分を責めれば責める程に、そのネガティブイメージを刷り直していくのです。そうやって自分を刷り込んでしまうと、同じようなシーンや似たシーンになると、すぐにその感情が出てきて自分から進んでそのシーンを起こすような態度を取るのです。
自分のイメージというものは、自分で描くしかなく、それをいつも強く持つというのがゴールイメージです。より具体的に鮮明に未来を思い描き、その目標やゴールに向かって自分自身が全身全霊でそこへと挑む戦いをするということ。誰かと比較してとか評価とかを気にせず、自分の決めたゴールイメージに専念する、それを全員が行うことで最幸の人生を掴み、最幸のチームを構成していくようにも思うのです。
チームの中で悪いイメージが起きそうなときこそ、善いゴールイメージを持つ人が成功イメージに挑むことで他のネガティブなメンバーを引き上げていくこともできるのがチームプレーの醍醐味と面白味でもあるのです。またネガティブな人は自分がネガティブな感情にならないような配慮や準備を怠らないことでいつも自分の感情を善転するようにケアしていくのが自己管理にもなります。
集団で高い理想を目指せば、そして夢を描けば、妥協点は決して低くはなりません。だからこそ、妥協している仲間がいたら腹が立つのは当たり前です。そうやって妥協点をみんなが下げずにゴールイメージを目指し個々全員が真摯にゴールイメージに挑戦し取り組むことで世界一やオンリーワンというものは築き上げていくのです。
なんでも無難や上手くいかせようと考えてしまうのはその人の個人の価値観、その自分の設定しているゴールイメージにこそ課題があるようにも思います。ゴールイメージとは、最幸の豊かさを味わうための目標設定、つまりは自分に「夢を持て」ということのように思います。
どんな風にしていきたいか、どうなりたいか、どこまでの高みを望むのか、その正対する個々の挑戦が自分をそして周囲をイキイキワクワクさせてくれるように思います。いつもネガティブな感情でまわりに迷惑をかけて足をひっぱらないようにすることがチームへの最大の配慮です。
配慮とは、そうやって自己観照し、自立することではじめてできるようになるように思います。
自らの人生をどれだけ絶対肯定するか、そして信じるか、自分の想念次第なのでしょう。
素直で爽やか、明朗にして謙虚、また元気溌剌として無邪気な子どものように前進していく。
想念も生き方、そして人生は歩み方、心を澄ませて穏やかであるのがいいのでしょう。
想念というものは、実は素直さの言い換えたものなのかもしれません。
見守りということ、見守るという指導、心得、その全てを学び方へと深めていこうと思います。
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セルフイメージを描く思考プロセスは、癖のように同じプロセスを踏んでいるように感じます。その癖から脱却するためには自問をし目的と方法論を考える、人から強みに焦点を当てて頂くといった方法あると思います。方法論をわかっていながらも出てしまうのが癖です。描くゴールイメージは生き方や実践量の表れ、ネガティブな感情は課題の表れ。表出している以外を考えるのが仕事。抽象的な表しがパターン化していると仮定し、具体的な行動ベースでゴールを考えたいと思います。
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どんな小さなことでも成功を積み重ねる事が大事であり、成功とは誰かが決める物ではなく、自分の中で決めた事を素直に遣り切れたかではないかと今は感じます。以前は周りの目を気にしすぎ、自分が遣りたいという気持ちを隠していたように感じます。結果ばかりを見ずに、何の為に今何を遣りたいのかという事をもっと大事にしていきたいと思います。
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思った様にしか、物事は見えないのだと、現場にでる自分を見つめると感じます。想いが素直であれば、現実は素直に少しずつなっていきます。
悪い時も良い時も、思ったことが現実を引き寄せるのだと思い、素直な感謝の心と機会の有難さを大切にして行きたいと思います。