素食~一汁一菜~

一汁一菜という考え方がある。

先日から食養のことを見直し、何を改善するのが実践なのかを深めているとやはり根本の食べ方に近づいていきます。もともと質素というものは、素食ともいい、シンプルな食事のことであろうとも思います。

このシンプルな食事とは本物の食事のことであり、何が本物であるかの中には当然食材の方にもあるのでしょうが本来の食べる側の主体としてのもともと何を食べてきたのかという食歴から考えていかなければならないのです。

私たちの民族は太古の昔から何を一番食べてきたか、また何が常食であったか、そこには原点や基本をどこに置くかというものがあります。主軸ともいいますが、自分の主軸を見失っている人にいくら法則や原理を語ってもすべて対処療法で根本的な改善にはつながらないように本来の本物ということが分からないのです。

主軸というものは、常に立て直すこととセットで使われるものです。

この立て直すというのは、知らずしらずに流されてしまっている自分に気づき、もう一度原点に帰り自らの主軸を打ち立てるということに似ているように思います。

どんなに次から次に気づいたとかやっていても、元来の主軸がある人とない人では気づきの質も量も、またまっすぐに立てるかどうかにも影響があるからです。その主軸とは、そもそも生まれるときから持っていた大切なものだからです。

そして主軸を直し、全てを立て直すというのは、もう一度元来の芯を入れ直すということでそこには何を削り取り本物にするか、つまり何をやめて何をはじめるかにかかっているのですがその何をはじめるかにシンプルさが必要なのです。

乱れた生活や歪んだ精神、その他迷走迷惑した日々というものは常に迷いを生むことになります。シンプルさというものはその迷いを極力なくし、本来の在るべき姿がなんであったかを思い出すための道であるように思います。

人には、魂、心、そして体がありますがこの「食」はその体の根本を為すものであり、それ次第で健康というものが決まるということです。

食という字は、人が良くなると書いて食です。

主軸から立ち直すには、シンプルな日々、素直な日々、素食の日々に懸かってもいます。

病む人たちが健やかに生きるためにも、自らの真心を尽くした実践を貫きたいと思います。
すべてにおいて素が本物であることを子ども達へ示していきたいと思います。

 

  1. コメント

    食を深める機会として器から考えていたら、「陶」の字にあたりました。「陶芸」そして「陶冶」。主軸は人格が反映されるものであり、人の器量を器と表現するように、何をどこに装い美しく見せるかは、見せかけではない人の心が現れるのだと思います。日々使うお皿を時期やシーンに合わせ選択できるよう、食の見直しをしていきたいと思います。

  2. コメント

    今年に入り、家での食事をお祝いごとや外食を除いて一汁一菜、もしくは、一汁に変えてみました。玄米は私だけですが体には顕著な違いを感じています。まずは、風邪を引かない事。吹き出物が出なくなった事。寝起きが良い事でした。
    出張や外食で汚れた身体を、整えてくれている様にも思いますし、また、主の食事が一汁一菜であれば外食もある意味では、抗体を付けて身体を強くするかも?と感じました。

  3. コメント

    食すという事は昔であれば生きていく上での基本であり、一番大切にされていた部分ではないかと思います。しかし今の時代ではある意味で生きるという事とは分けて考えられ、ただただ食材を安く作り、やすく仕入れ、手軽に作るという事が大事にされているように思います。又昔は命の繋がりを感じているからこそ次の世代の為に自分の体を大切にしていたのだと今は感じます。子どもたちの為にも、もっと自分自身を大切にしなければと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です