皆で働くというのは、一人が皆のために協力するということです。
先日、体調を崩したクルーがいて仕事の在り方というより協力について深く考えさせられることがありました。
もともと仕事は自分だけがうまくやるや、自分はできているからとやっていたらそれでいいわけではありません。誰かが残業して困っていたら、それを手伝って早く帰れるようにするとか、このままでは期限通り終わらないことなども手伝って一緒に片付けるとか、その人一人が困らないようにすることが協力です。
誰かだけがいつも残業するというのはおかしな話で、では残業しないで帰ってもそれを自宅や休日に行うだけですからそれは正しく協力できて皆で営んでいるわけではありません。これはその人のやり方がおかしいと責める人もいますが本来はそうではなく周りの協力が足りないだけとも言えるのです。
周りがもっと協力すれば時間通りに進みますし、周りが手伝ってあげればその人は安心する中で働くことができより効率的に効果的な仕事ができるようになるのです。なぜならもともと仕事は全体とつながっていてその人だけで完結することはほぼありません。それを一人だけでやろうとするところに無理がかかり、そして病気や体調を崩すということになると思うのです。
その仕事はもともと全員で取り組むべき仕事で、それを自分だけで持ち帰り一人でやろうとするその姿勢そのものが無理させ体調を崩すことになるのだろうとも思うのです。善い上司、善い部下があるかはわかりませんが善い上司は部下のそういう無理がでないようにと自分から協力をして全体の仕事にしてタコ壺化しないように配慮を欠かさないことのように思うのです。これは見守りです、そしてまた部下も、自分の仕事がいつも一人のものにならないように確認や報告をすることで安心していつでも協力してもらえるようにと見守られることにつとめることが正しい互いの協調和の在り方のように思うのです。
結論から言えば、仕事とは皆で取り組むことで一人でやることではないということです。
一人にならないようにするには、皆が協力するのが先決です。
一人が頑張って皆に協力を求めようとするのではなく、周りが本気で一人ひとりの皆に協力しようとする意識、そのものが安心感につながりその人の持ち味を活かしそして全体を最適にしていくように思います。
協力をするというのは、「せーの」で合わせるようなことを毎回、その都度、何の仕事であっても全身全霊みんなで一緒にやろうとする姿勢、簡単に言えば自分の仕事ではなく協力していこうとする積み上げが仲間を思いやり仲間と共に居るという絶対安心へと調和させていくように思います。
個々に分断された個人主義は一斉画一のかつて我々が受けてきた教育によって刷り込まれたものです。それは人間の本来の共生の姿ではなく、そうなるようにと何かの都合によって仕込まれたものだったのかもしれません。しかしそれが大人になって社会に出てみて体験し、実は間違っていると素直に反省したらまずは自分から変わっていくことだと思うのです。
一人で悩み病気になり倒れたりし孤独になったりする人たちが生まれないように協力していくことを優先していけば共に生きる歓びと安心感に満たされた最幸のチームは実現します。
子ども達の模範になるよう、孤立ではなく協力を学び直したいと思います。
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2012年12月12日 1と2がたくさん並び、リズムよく進むことの大切さを数字が示しているように感じます。客観的に見て分かるということの一つに、協力のしやすさを示していると思います。見えれば手伝え、見えなければ・見せていなければ手伝えない。相手に矢印を向けるのではなく、まず自分自身が見えるようにしているかを考えなくてはなりません。「協力」と言葉だけが一人歩きし、協力を求めるだけでなく、その前に自分自身がどうしているかを考えていきたいと思います。
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自分だけが無理をしていると思っている事はあります。しかし逆に自分が無理をすればするほど周りにも無理をさせ結果的に周りとの協力とは程遠いものになるのだと今迄を振り返ると感じます。やはり先ずは素直に今の自分の現状を伝える事、又仲間に対していかに安心して伝えれれる環境を用意するかも今の自分自身の中での課題であるという事も感じました。
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一人で完結させ、やれる事が自立なのではないかと刷り込まれそうになりますが、皆で手をつなぎ合い、一つの円になる事が、一丸となると言う事なのだと気づきました。一人で小さな円になろうとしないよう気を付けたいと思います。