協力というものを深めてみます。
そもそも協力とは何かというと手伝ってもらうことや支援してもらうことではないように思います。本来、協力という意味では何か誰かに力を貸してもらったり、誰かの力を借りたりといったお互いに協力関係をギブアンドテイクで出しあったり貸しあったりするイメージがあります。
しかしどちらかが意図的に手伝ったり手伝ってもらおうと意識すると、なかなか協調できずにスムーズに事が運びにくいという経験をすることがあるように思うのです。
本来の協力とは何かと感じてみると、力を合わせるということ、一丸となるや一体となる、心も気持ちも合わせるということをいうように思うのです。それは相手をみるとかではなく、同じ目標やゴールに向かってそれぞれが全力で力を使うことを言うように思うのです。気が合うもの同士が力が合いやすいのもそれはそもそも気が合っているからです。ここでの気は本気の気のことです。
それにこの協力という字は、「力」が合わさって重なった姿が顕われています。
協力して下さいとか、協力しようとか、色々と協力のメッセージを出すことがありますが本来は自分が力を合わせようとすることができにくくなっているときにそう使うのです。
世界では様々な協力のやり方があり、国際協力などもどちらかだけが依存したりする関係もあると聞いたことがありますがこれは互いの力を合わせるのではなく力を借りようとか力を貸そうとか互いのどちらかだけに偏ってしまうからのように思うのです。
みんなで力を合わせるというのは、どのことに対しても全身全霊で力を出すということ、そして自他を割り切るのではなく全員で力を合わせるということの繰り返しが必要に思うのです。誰かが手抜きをしたり、お見合いをして力を抜いたりしていたら、協力や協調はできなくなります。
誰かがするだろうではなく、自分からすべてを取りに行く姿勢や自分が求める力が合わせるというものに近づいていくように思います。
そしてその根幹は、対人関係や人間関係の感情が大きな理由になっていると思います。表面上の気づきは色々とありますがそこに確かな人間関係の共生の本質が存在しているものと思います。
人が素直であることは、自分を認めて受け容れてあるがままでいることのようにも思います。
人生は多くのヒントの中で、その体験を他人の御役に立てることができるようになります。
いのちは誰かの役に立てるためにあるものだから、体験を価値に転換していきたいと思います。
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力を重ね合わせることと考えると、「協力」と発するのであれば勝手に手を抜いてはならないと感じます。何か物を運ぶとき、誰か力を抜けばその分誰かに負担がかかり、見えないところでの手抜きは組織の歯車を狂わせます。遣う言葉はもちろんですが、自分の姿勢を問い直したいと思います。
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協力も頭で考えて出来る物ではないと思います。しかし今様々な分野でいかに協力するのかという事が課題になっていると思います。人から教えてもらって協力する事が出来るのかを考えても微妙な感じです。自分の事だけを考えている人が本当に協力が出来るのかを考えても自ずと答えは出てくように思います。様々な人や環境があって今の自分がある事、様々な支えがあるから今の自分がある事、常に感謝の気持ちでいられる自分でありたいと思います。
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任せたから荷を降ろすではなく、いっしょにやるという姿勢をやはり大切にして行きたいと、自分を振り返り思います。ここにも、やはり思いやり、配慮、安心感の提供と繋がって来るのだと思います。もっと、一体感と繋がりを作って行きたいと思います。