今日は、インドにある中でも革新的な学校と盲学校を視察しました。
インドに来てから、様々な貧富の差やあらゆる価値観の矛盾を味わいつつ引き続き幸せの本質とはというテーマで日々を洞察しています。そもそもこの国は身分制度にはじまり、人々が階級などにより棲家を棲み分けています。
インドでは一部の富裕層の生活との違いばかりが気になるような風土が太古の昔から今にいたるまではっきりとあちこちに現存しているように思います。
そしてそれは今の時代の学校や教育の方針などにも反映していて、競争し1人で勝ち残るための指導法などがインドでも人気を要しているようです。本来の幸せとは何かなどはあまり議論されず、世間の求める物質的な豊かさや裕福さといったお金や名誉などにもよって無意識に基準が設けられているようです。
この世には目に見える貧富というものと、目に見えない貧富というものがあるように感じます。そして私には本当の貧富の差は、表面上の差ではなく自分そのもののバランスではないかとも感じるのです。分相応ではないですが、その人に与えられる物資的なものと精神的なものとのバランスがあってこそ本来の豊かさや幸せといったものに出会うようにも思うのです。
ここではより感じたのですが本来の幸せというものは、決して物質的な裕福さだけではなく人生=生き方としての真の裕福さがあるように思うのです。それは自分自身の信じることを自分自身が行うことではじめてバランスが取れるように思うのです。つまりは物か心かではなく、その両面、そのバランスの元となる自分が幸せかどうかということです。
人はどんな環境や境遇に生まれてくるのかはわかりません。今日の盲学校ではないですが、目が見えないからといってそこに不平不満があるのではなくそれを受け容れて卑屈にならず健やかに自分らしく生きている姿にこそ幸せの種を感じるのです。
幸せかどうかというのは、その人のままでいることが幸せなことなのかもしれません。
そしてそれを信じる事ができる人こそ、幸せを素直に感じることができる人かもしれません。
明日は最終日です。
今日も思い出深い貴重な体験をたくさんさせていただきました。
これが何に繋がっているのか、、、ワクワクドキドキのままに楽しみたいと思います。
コメント
カンボジアに行った際、何が幸せなのかわからないと感じたことが蘇ってきました。非日常的な生活は刺激と充足感に満たされ、豊かさを考えるきっかけを得ますが、日常の生活に戻るスピードの速さと慣れに驚きます。学生のときは闇雲にも子どもたちのためにとの思いが先行していましたが、社会人として働き始めるようになり今の立ち位置から、どのように仕事に携わることが貢献に繋がるのだろうかと考えるようになりました。直接的な支援ではないですが、知恵と工夫を持って今後も思いを形にしていきたいと思います。
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お金があれば幸せ、物があれば幸せなのかを考えると本当の幸せは自分の心の中や周りからの心にあるのではないかと今は思います。どんなに高価な物を頂くよりも、心がこもった物を頂いた方が私は幸せを感じます。今の時代は目に見える物にどうしても力を入れてしまいがちですが、その前に心をやはり大切にしたいと思います。
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働く中で、自分らしさを認めてもらえたり、応援してもらえる環境がある事に、本当に感謝の気持ちが湧きます。讃給もそうですが、ブログに書かれている通り、自分らしくいられる事自体が幸せなのだと実感しています。練り上がってきたこの文化を会社の次の世代により良くして譲って行きたいと思います。