昔書いたメモなどを見返すのは、昔の体験をフィードバックするときに使えます。
人は自分を中心に物事を捉え、すべてのことに善悪を考えたりすることで苦しみ悩んだりするものです。そういったことから、様々な思い出深い体験をし、悔いたり反省したりしていくように思います。
そうして時が経ち、次第に事実を受け容れることができ気づいたことを記憶に書き記していくように思います。それを自分を再び省みるようなことができるとき、自分がどのような感情があるのか、我欲があるのかを客観的に分析しそれを整えたり制したりしていくことができるのです。
それは頭で行うものではなく、すべて心が行っていくもので内省というものの本質を捉えているのです。
内省というものは、自分の心を観照しその心を見つめて変化していくもののように思います。
そうやって素直に自分を受け容れることができるなら、何らかの出来事というのは、自分が変わっていないことの証明と自分が変わっていくことを教えてくださっている天の声とも捉えることができるようになるのではないかと私は思うのです。
そしてその天の声に対して、自分が過去に体験して気づいたメモや書き記した記憶こそが自分の声ではないかと思うのです。自分の声をちゃんと素直に話ができることや、自分の声をちゃんと謙虚に聴けることができるようになれば物事は丸ごと善いことに変化します。
人は心が正しくなければ、何も聴こえないというのはこういうことからなのでしょう。
日々に精進して、道の中の記憶を刻んでそれを修めていきたいと思います。
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アイデアや思い、受け入れがたい感情を聴き、何らかのアクションを起こしているときは、自分の声に従っているときなのだと感じています。しかし、思っても行動に移していない時は、それは理念に反しているときでもあります。自分だけでなく相手の声も聴き流さずに自分の声として受け入れられるのは、課題として認識し考えているときです。聴こえる声は小さくならないよう、相手の行動でいいと感じたものは取り入れ、自分のものとして受け入れていくプロセスを養っていきたいと思います。
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私も気づきを書き記していますが、ふと振り返るとその時の心の動きが見えてきます。心で感じたものをそのままに書き記しるす事の大切さを感じると共に、ただ振り返るのではなくその時の心を省みる事が大事だと感じます。又同時に本当の意味での内省を行う為にも常に自分の心が素直な状態なのかが大事であると思います。
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メモを振り返ると今見ても、分かりやすく役に立つ書き方と、作業的で目先の事しか書かれていないメモがあります。メモを取る時も、今の為、目先の為にメモを取るのではなく、未来の為にメモを使って行きたいと思います。