都心にはまだ先日降り積もった雪があちこちに残っています。土がないところで日陰になっているところでは、雪は一向にとけそうな気配はありません。
田舎に比べると都会の方が肌寒く感じるのは、その不自然な人工物が循環にそぐわないからかもしれません。ふと、土の方から考えてみるとアスファルトがあることで土の間も断絶されきっと地下では雪が降っていることもわからないかもしれません。
土というものを考えてみると、四季の中で様々な活動を行う生きものたちの根を育みます。冬であれば、その降り積もった雪の下でしっかりと根をはり、寒さに耐えながらも暖かい土中下からの地球の温度に癒され春をじっと待っていくのでしょう。
そもそも断絶というのは、このように土の上にアスファルトを敷いて人間にとって都合がよい方へと便利な方へと変えてしまうことです。本来は、土の中で様々な思いやりを温め、それを土の外の世界で実らせる。
これは人の心の根も、土と同じように断絶していないかと考えることができます。
心を閉ざすのは、まさにこの土との間にアスファルトを敷いていくようなものだからです。
自然で居るというのは、自分や人間の都合がいいように便利なように心の弁を閉じておいてうまく立ち振る舞うことを頭でおぼえることではなく、心を開いていつも自然なままでいるということであろうとも思います。
自然体というものは、心がいつも開かれていることだと思います。自分を気にして相手を気にして、自分らしさも忘れてしまって、どれだけ周りに気取ってみても、それは決して本来の姿とは違うものであれば、今の都会のようにあちこちに雪が残ってしまいます。
本来の自分自身が周りに心を開ければ、自分のままが一番すべてを活かすことに気づけます。
自然はいつも私たちに、あるがままの心を開いてくれています。
自然からまだまだ広く明るく学びを開いていきたいと思います。
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凍結した路面の雪かきは人の手を使い、歩けるように整備されていました。これを協力と呼ぶのでしょうが、溶け固まった路面の雪は簡単には雪が降る前のようにすぐには戻らないようです。
「款冬華さく(ふきのとうはなさく)」ふきの花が咲き始め、凍てつく地の下で春の仕度が着々と進む頃のようです。関係を取り戻すには時間がかかるのかもしれませんが、新しく芽吹くいのちと共に進んでいきたいと思います。
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自分から心を閉ざすという事もとても不自然な事なんだという事を感じました。自分自身のテーマでもありますが、いかに素でいるのか、いつの間にか自分の心の状態を見る事も出来なくなり、そこから逃げている自分もいるのではないかと思います。蓋をすれば出る物も入ってくるのも無くなるのは当然の事だと思います。常に自然な状態なのかをしっかりと確かめていきたいと思います。
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あるがままと言う言葉も、自分がどうあるべきかが、分からないと迷ってしまいます。我の一人歩きとなり、欲も乱れるように感じています。内省と行動を同時に行う事を怠らずに日々を過ごしたいと思います。