刷り込みの中の一つに、無理をするというものがあります。この無理というものを深めてみると、いつもではなくどこかが無理に力んでいるともいうように思います。
先日、整体を学んでいる方とのご縁があり体のことについて教えていただきました。
本来、穏やかで静かな時は体に力んでいくことは少ないように思います。それがどこか感情の波に揺られていたり不安で落ち着かないと体に無駄に力を入れているのです。こういう状態を無理というように思います。
リラックスしているということは、無駄な力が抜けている状態であるということ。無理をしていないということになるのです。
そもそもこの無理というのは、全て感情が根底にあり自我に囚われていることに起因するように思います。そして知らないうちに無理をしたというのがあるのも、それは知らないうちに感情に呑まれたともいうように思うのです。
人は感情と理性ではないですが、自律神経が安定していると日常は安心してバランスよく平静に過ごしていくことができるように思います。だからこそ、偏ったなと思ったときは一度リセットしゼロベースから作り直すというように自分を整えていくのだとも思います。日々の日課を持つのも、自分が同じところに回帰しているかと立脚するところから見直すのに役立つからです。
バランスを崩しているのにそのまま無理に自然体になれば、他人に対する思いやりや配慮を欠き、真心は通じにくくなるように思います。焦ることや急ぐこと、押し付けや批判などもそういう自分の状態が周りに感化していくように思うからです。
一番人間関係で不幸なことは、ひょっとしたら自分の焦りを人に押し付けているときかもしれません。だからこそ、他人のことを思いやれる優しく強い人になりたいのであろうと思います。
しかしそれでも人は忙しい時や余裕がない時もあるのが普通ですから、そういう時は開き直ってできるところからやっていくのがいいように思います。そういう時こそ周囲が感動してくれたり、深く学んでいたりするからだと教わりました。
自分が無理をしているのは、一度すべてをゼロベースにしてみないと分からないものです。自信とは、そういう白紙のところに止まることができていることをいうのかもしれません。
最後に、四書の大学の三要領一節を省みて終わります。
「大学の道は、明徳を明らかにするに在り。民に親しむに在り。至善に止まるに在り。」
この至善に止まるというのが、本来の自分の居るところ、つまりは自然体ということなのでしょう。日々をチャンスと捉えて、実践から正しく学んでいきたいと思います。
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白紙になれる強さは、自暴自棄ではなく、周囲への信頼や自然を受け入れる素直さなのだと学びました。現代は、人を介してや、みんなでというよりも一人で成し遂げる事の方が尊いと思われがちな面もありますが、本来は真逆なのだと感じます。そこにまだまだ自分自身まなびのチャンスがあるのだと思います。
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出来るところから遣るという事が自分の中では、大切な事だと思います。余裕が無くなっている時は、自分が無理をしている時はどちらかと言えば、出来ない理由を探しているように思います。そうする事でより不安が生まれ悪循環になるように思います。先ずは今出来るところから遣るという事を特に今は大切にしたいと思います。
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相手に伝わらなければ白紙と同じであり、やりはじめることなのだと思います。麻酔から覚め思うように動かない身体から考えるのは、本来持っている力でさえ入らないことです。これまで培ってきた体力は遣えずとも、そこで培った智恵を活かしていくところに人とのかかわりの強みが生まれるのだと思います。力が入りすぎること、入らないこと知らぬ間に起こる感情と身体のコントロールを考えていかないといけないと感じます。