人は自分の領域を超えて何かが起きる時、発想の転換が必要になります。
発想の転換というのは、今までのやり方を見直し、真っ新の状態から立て直すことに似ています。この方向では難しかったらまったく別の方法を考えるというようなものです。
例えば、重たい石があってそれをどうしても持ち上げられないと思ったら他の方法で持ち上げるしかありません。中途半端に重たくて持ち上げられても、それをいくつもとなったら疲れてしまいます。
そういう時は、何かの道具を使うか、そもそも重たい石はそのままにして自分が移動するか、もしくは何かそれを工夫して転がすことで持たないかなどを智慧を働かせるのです。
今までの方法が合わないと思った時の開き直りは、様々な状況を受け容れるのに似ているように思います。自分の思い通りにいかせようとすることから、人はこだわり意固地になっていくものです。
そういうものを一度手放して考えることを、真っ新にしてというのではないかと思います。
ある程度、様々な自分の都合を引きずっているとそれに固執したいとするばかりに周りにも自分も頑固になっていき無理ばかりを通そうとして軋轢をつくってしまうものです。そういう時は、逆転の発想ではないですが開き直って立て直すことがいいように思います。
手放すというのは、自分が固執して離したくないと思っているものを一度手放して考えてみるということだろうと思います。そしてそれができるのが本当のスペシャリストでありプロフェッショナルではないかと私は思います。
素人やアマチュアでは、ダメなことばかりを考えてできない理由ばかりを専門的に並べたてていくことで本来のスペシャリストやプロフェッショナルのように振る舞おうとします。しかし、世の中でできないと思えるようなことを発想の転換で実現していくのが本当の実力者であろうと思うのです。
できない理由を並べ立てるのは、誰でもできることです。
そうではなく、どうやったらできるのか、だったらこうしてみようと転じる工夫とそれを実行する行動力があってこそその道を究めた人たちであろうと思います。何か行き詰るときこそ、日々の真価が試されるように思います。
真っ新を楽しんでいきたいと思います。
コメント
今起きている課題はまさに機会の到来であり、時中に機会を逃すことは人災だと感じます。発想の転換もこれまでのやり方では通用しないからであり、智恵と工夫の試し時なのだと思います。開き直りは一種の強さであり、事実を受け入れ真価を問うていきたいと思います。
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目先の事に囚われて、日々を過ごしているとやはり工夫も発想の転換も難しいと感じます。日々を未来・目標を見ながらすごして行くからこそ、大事の時に発想の転換が浮かんでくるのだと思います。そういった日々の姿勢、スケジューリングを大切にしていきたいと思います。