昔からピンチはチャンスという言葉がある。
この世の中は禍福一円、陰陽一元、表裏一体と全ては円環の中で循環しているようなものです。その全体の循環の中心に自分を置いてモノゴトを観ている自分が居るだけであるとも言えます。
しかしピンチというものは一般的には大変弱ったことだと疲弊してしまうものです。それをピンチだけの方向から見てしまうと、なぜ自分がいつもピンチになってしまうだろうとそこから逃げる人もたくさんいます。しかし本来は、ピンチとは挑戦しているからピンチになるだけで挑戦もしない人ではピンチすら訪れないのです。無難に戻すことが本当のピンチであり、ピンチに真正面からチャレンジしさらにそこからもう一歩前進し勇気を奮いだして取り組むことが真のチャンスになるのです。
そもそもピンチが多いというのは、それだけ挑戦して変わろうとした結果でもあるのです。人が変わるのが嫌だというのは、無難ではないということで変わるのはそんなに簡単なことではないということを本能で知っているからです。
しかしそれでも大事なもののために変わろうとすれば、必ず大なり小なりのピンチは訪れるのです。そもそも無難なのは変わらなくてもいいから無難を目指すのであり、難があるのは変わりたいから難があるのです。
そしてそのピンチを乗り越えるのに、冷静になるのは自分がこの機会に何を学ばせてもらっているのか、どんな有難いことがおきているのかを感じるというのがあります。
例えば、そのピンチから教えられたことは何か、そのピンチに感謝したことは何か、そのピンチは自分の何を成長させるのか、そのピンチの蔭で見守ってくれた人たちは誰か、そのピンチに自分の生き方はどうだったか、そのピンチに平常心はどうだったか、そのピンチは自分の何を変えたのかと、そう内省して感じていけば次第にピンチがチャンスに思えてくるものだからです。
それをいつまでも自分の見方ばかりにこだわると、大切なその側面や同時に発生している有難い恩恵や感謝の心に出会えなくなるものです。私の場合はそういう時は、ご縁のあった方々への恩返しのために今回も必ず悪いことにしないと心に決めて、何を大切に抱き実践することが最も善いことになるのかに真摯に取り組みます。
しかし本当に尊いのは、変わろうとしたという事実です。
自分を変えよう、何かを変えようとすれば必ず同時にピンチは来ることを本当の素直な心はそれを知っているように思います。だからこそ、変わるという挑戦を始めれば難は誰にしろ訪れるものなのです。 それは栄誉ある挑戦だからこそ、そのピンチをチャンスだと思えるのは最初に決めた覚悟が試され、それに挑む勇気がそこで必要になるのだろうと思います。
「艱難汝を玉にす」
これは本当の珠玉の言葉であろうと思います。
そう考えてみると、人生は覚悟と勇気でできているのかもしれません。
福というものは、一縁善転によって訪れるのでしょう。
一つ一つのご縁と機縁に、感謝しながら善いことになることを念じていこうと思います。
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出来事に対して意味を考えていく過程は見る視点が増え、その経験の繰り返しが転じることに繋がっているのだと思います。一面を感情で見るとその人の価値観そのままのことも、一人においても物事を多面的に見るよう意識していくことだけでも、視点の幅の拡がりと他を受け入れ考える視点が養われると思います。人と人との結び合いからの学びだけでなく、受け入れることを学ぶ自分自身の姿勢も正していきたいと思います。
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ピンチを自ら招く様にチャレンジするか、気がついたらピンチなのか。ピンチに対しても挑戦的でありたいと思います。