先日、大阪にて幼保一元などについて意見交換を行うシンポジウムに参加した。
主催は、ウェルネスの片山先生で最近は理念の構築でもともにすることが多くその示唆に富む考え方や行動力にはとても共感することあり尊敬する保育の世界の実践者だ。
また藤森平司先生と安家周一先生の対談も面白く、朝から参加したけれどあっという間に時間が過ぎてとても有意義な機会になった。
根源が同じ人たちが何かをやろうとすると、話がとても盛り上がる。
それぞれの環境から様々な問題意識を育て、一つの確信を持つ。
その確信がさらに広く大きな環になって深まり高まっていく様相は、まだまだこれからやることがたくさんあることの喜びを感じさせる。
そういう確信を感じて見守ることの実践を積み重ねてきた人が次第にGTで集まってきていることを思うと、私たちもより一層、自分を修め、社業を貫徹し邁進していかないとと志新たに兜の緒を締めることができる。
人が何かを行う時、そこには必ず志というものがいる。
自分でこの世の中に何かを為してやろうという気概というものかもしれない。
大切なのは、何よりも自分自身が自分自身で恥じないような生き方をし、そしてそれが模範とされるような言行一致の在り方が周囲を感化していくとし、日々の生活を正し、人としてのルールを守っていくことだと思う。
どんなに良いことをしたや、充実したからといって、そういう日々の鍛錬を怠ったり、生活を誤魔化していると、次第に他人との約束を破ることになる。。
そうやって他人との約束を破ってしまうことが自分との約束を破ることになり、言行不一致が生まれてしまう。大事な決めたことは流さないようにすることが日々を命がけで生きると言うことになるのだとも私は思う。
話を戻すと、私は幼保一元のことでよく幼稚園と保育園が軋轢があるや、公立と私立で壁があるなどと話があるけれどそれはあまり気にしてはいない。
これは仲良くすればいいのだと思う、つまりはそれぞれがそれぞれで本質を見極め質を高めていけば次第に一つになっていくと思う。保育教育でいえば、それぞれが子どもの立場にたって子どもを大切にしていくこと、大人たちの目線での大切にするではなく、子どもたちの側にいるままで大切にしていくと大人都合の話はなくなっていくということ。
たとえば、制度だの、補助金だの、時間枠など、いろいろと言うけれどやっぱり子どもたちが今、何が不安なのか、何が足りないのかなどを、本来の子どもの心のままで考えれば、大人としての専門性で何を改善すればいいのかが次第に分かってくるものだと思う。
師の言うように、差のないところで議論をしなければ御互いに本質的な行動に移すことができないというのはそういうことだ。チームでもそうだけれど、差のあるところでばかり仕事を議論したっていつまで待っても動きもしない。
それならばいっそのこと、一つのところ、お互いが共有する差のない本質の部分で議論をすれば解決にすぐに向かうということだと私は思う。本当は何のためなのかともっとも真淵のところを理解できていれば何も異なることはなく、異なることは一つの方法へ向っていくことだとすぐに理解することができるからだ。人間は、それぞれに与えられた役割があるからこそ自分のことを深く理解していくとともにそれを活かしていく必要があるのだと思う。
話が膨らむので最後にするけれど、今回のシンポジウムの問題提起として私は子どものために皆がそれぞれの場所で取り組むとして「みんなで上書きしていくこと」が良いと思っている、つまりは木の年輪ができていくようにしていくといいと思っている。
年輪は、まるで変化するものと変化しないものをあわせもっているようなものを表現している。生きていれば必ず変化はある、環境の中で様々な激しい変化があっても、そこには必ず太古の昔から変わらない何かも必ずある。
それを思う時、私は「大いなる上書き」と呼び、もっとも必要なもののために毎回新しい自分に戻り、余分なものは削り落していきながら積み上げていくというような生長のための原理が必要になると思う。
今のような激しく変化する時代こそ、より一層変わらないものを持ち上書きを繰り返すことがもっとも自然なことだと私は思う。
そしてそうやって生長しながらも、今度は周囲を感化していく必要がある。
生きるとは、共生することではじめて成り立つのだからまずは環境の中で自分のミッションを尽くし自分自身がまずモデルを示すことで子どもたちに恥じないようにしていくことだとも思う。
組織を率いている人たちや、また子どもに関わる人たちは何よりも不易である理念を明確に打ち出して、その理念を主軸に地域や社会へ行動していくことでより易である貢献をしていくことを目指してほしいと思う。
こういう時代だからこそ、使命役割が明確になるのだ。
私自身、何より天が与えてくれた自分たちへのギフトを正しく受け取れるよう、何よりも志と実践を優先し、信念を醸成していきたいと思う。
常に太極的であれるような平常心を持てるようになっていきたい。
シンポジウムの皆様には本当に勉強になりました。
私たちも、垣根を創らず根本は同じだという思いで誰の批評も怖がらず広く大らかな心を持ってあらゆるものと渾然一体となって仲良く学んでいきたいと思います。
有難うございました。
コメント
私たち日本人の共通するところは日本人のDNAが確実に体の中に存在することだと思います。それは、祖先がこの地で生きて得た叡智、この地における不易なものが、生き抜くためにしっかりとこの体に残されているということだと思います。
日本人としての保育ということを考えた時に、この事を大切に考えることが大切だということを、村上和雄さんや塩沼亮潤さん、社長から教えていただいているように思います。だからこそ、大切なのはその共通する部分で話し合うだけではなく実践することなのだと感じます。
大人としての専門性はその祖先の叡智を子孫に伝えることだとすると、私自身がそれを実践していなければ伝えることは出来ない。毎日の生き方一つもやはり無駄には出来ないのだと改めて気持ちを引き締めて日々を過ごしたいと思います。