創意工夫と改善というものがある。
人類は、もともと道具を使って生き延びてきたともいいます。それは道具そのものを使ったから生き残ったのではなく創意工夫したからではないかと思うのです。
自然を観察していたら、それぞれの生きものは小さな創意工夫を怠ることがありません。そして変化を自分のものにして、新しい環境に合わせて適応しています。
環境に適応するというのは、言い換えれば創意工夫を怠らないということ。それを他の角度から捉えれば、改善を行い向上しているということであろうと思います。
そうして日々に時代に適応していくから今も私たちが存在しているように思います。
私たち人間が生き延びて来られた大事な欠かせない能力がこの創意工夫と改善というものです。しかしそれもよかれと思ったものがよくないことに左右することもあります。それは今のように短期的な目線で目先の改善ばかりを行えば、それは本質的には改善ではなく改悪になってしまうこともあるように思うのです。
自分のためだけの改善、今の自分にとっての創意工夫というものは、ほとんどが自分本位の改悪になってしまいます。しかしそれがもし次世代や長い目線で遠い先の未来に今を譲るためにと改善をするのならそれは本来の意義の改善となります。
時間をかけるのは、時間を懸ける価値があるものに創意工夫と改善をしていくからです。
だからこそ小さな改善、つまりは小さな創意工夫になっていくのです。
創意工夫も改善も、それは自分のために行うのではなく周囲や未来へ譲っていくものたちのために今の私たちが行う責任ということになるのです。
今の時代を生きる私たちが目先の暴利を貪るのではなく、先々のために少しでも責任を果たせるよう信念を持って生き方や働き方の見直しからはじめ、創意工夫と改善を続けていきたいと思います。
コメント
もっとこうしよう、ああしようと思う時、難しすぎない次への行動のアイデアを思いつくことがあります。ただ、それ以上にもっとどうしたら効率的になるのかと頭で考え始めていると、結局のところすぐに取り組めそうな行動をせず、意識すればできると流れていることがあります。周囲や未来への改善に、一気に、効率的にと考えるのは本来の意義に反していたのだと感じています。日々の小さな創意工夫を続けることに意識を持ち行動していきたいと思います。
コメント
創意工夫も、自分がやることになっていれば、小さな創意工夫から始まるのだと感じます。自分が描く改善案も、それは自分がやる事になっているか、自分を楽にさせる為のアイデアではないかを問い続ける必要性を自分自身に感じます。やると決めるところからスタートしたいと思います。