昨年は、自然を学び直しつつさらに深く自然農に取り組みました。その中で自家採取した原種の種を、またこれからの新たな季節に蒔いていのちのめぐりのお手伝いの準備をします。
そもそも自然の恵みの中で、様々な木々や植物は育ちます。それは自然の働きでそれぞれが生かされているからです。人間も等しく、心臓が止まらないのも呼吸をやめないのも、知らずしらずに髪の毛や爪などが伸びるのもすべては自然の働きを享受しているからです。
農夫や私たちが何かをして育てたと思っているものは、その実、そのものが自然に育ったのであって正確には私たちが育てたのではありません。私たちはその自然に育つのを少しだけ手伝っただけにすぎないということです。
これは大前提が自然というものの一部として私たちが存在するということであって、今の時代のように自然に逆らい切り離して考えていないことではじめて覚醒する境地です。
私たちの今の時代は、自然に合わせないことで人間の都合の善いようにと発展させてきました。夜の電気も、暗いと都合が悪いので世界中に明々とネオンの光に満ちています。世間の消費で発生するゴミというものも、人間にとって要るか要らないかで取捨選択されます。
自然では、夜は夜に必要なことがあるから夜であり、全てのものには一切の無駄がなく循環しているものです。そういうものを手伝う側として自然と共生するか、自然に逆らい孤立するかはそれぞれの生き方が決めることであろうと思います。
そうはいっても、私たちは太陽の光を浴びなければ生きてはいけません。それに水の潤い、風の揺らぎ、季節のめぐり、土の香り、それらのすべてを実感するとき、とても清々しい気持ちになり私たちがこの世に生きることの素晴らしさを味わっているはずなのです。
どんなに都市化された便利な世の中にいても、人間は自然の美しさに癒されているのです。
本来の科学技術とは、自然を少しだけ手伝うものであろうと私は思います。人間の叡智は、自然を深く理解し、それを現在の生活に反映させることで発展を約束してきたもののように思います。経済原理を推し進め、人間の浅はかな自然を悪用するような技術でお金が増えてもそれは世界や人類の永続的な発展を約束するものではないように私は思います。
本来の自然から学び直し、本来の宇宙の持つ自然発展のサイクルに入っていくこと。
これらの永続していくエネルギーを利用することこそが、私たちの生き方のお手本であろうと思います。また春になり、新たなめぐりの中に身を置いて次の季節も自然に感謝して実践を楽しんでいきたいと思います。
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実は私たちが育てたのではなく、その実自身が育っただけで、育つお手伝いをしていたのだという言葉。そのまま、保育、子育てにも通ずるところなのではないかと感じました。自分自身が子ども達と接する中で如何に自然を理解し、自然であろうとするかが、子ども達が育つお手伝いになるのだと感じます。また、同時にその姿勢はお客様やクルー、家族、関わる人々皆様にももしかするとお役にたてる部分があるのではないかと感じます。今の自分自身の乗り越える課題が見えてきたように感じます。希望を持って進んでいきたいと思います。
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自然農を通してこれまで思っていた何かしないといけない感覚から、余計なことはしないことに腹に落ちたところがあります。しかし、考え方はわかっても大丈夫だろうかと心配になってしまったり、少しのつもりが手をかけすぎてしまったり、離れすぎてしまったり手のかけ方のさじ加減が難しく、見守るの距離感もここに関係してきているように思います。距離感を頭で測ることは難しいからこそ、距離感は自分から掴みに行きたいと思います。