意味づけの本質

物事というのはそこに必ず何かの意味が存在します。

その意味はその人の人生にとって必ず何らかの価値があるからです。なぜなら人生とは、自分で意味を紡いでいくものであり、他と比較してたとえそれがどんなに些細なことだったとしてもそれは当人にとってはとても重要なことであるからです。

例えば、目の前の出来事を素通りするようなことがあったとします。本人にとっては、特に影響がないような他人のことでもそれが目に入るということは何か自分に関係していることが起きているということになるのです。

この世の中の全てはつながっているところに存在しているという考え方を基点にすれば、関係しあうのだから関係ないということにはならないのです。そもそも関係しあって学びあい発達するのが人間ですから、意味がないということは存在しない中に私は居るのです。

そして関係があるからこそ、関心を持つということが意味を実感することだと思います。

昨日であれば、あの出来事は一体何につながっているののか、なぜ自分はあれを観たのか、なぜこれを行っているのか、あの言葉は何か、あの気づきの本質は何か、そうやってひとつひとつを慎独しつつ内省していけば次第にその意味が時間の経過とともに理解されていくのです。

関心の反対は、無関心といいますがこれは関係しあっていないと思っている考え方のことです。これでは、関係し合おうとしないのだから日々に流されているうちにあっという間に人生の時間が過ぎ去ってしまうものです。

人の出逢いもそして別れも、そこにはすべて関係しあっている深いご縁が存在します。一度心で結ばれたのなら、それはまた将来に新しいご縁を紡ぎ学び合う準備に入ったとも言えるのではないかと私には思えるのです。

特にご縁に感謝していけば、必ず何らかの成長のために互いに関係していることに気づけるからです。与えられた場所で人事を尽くしていくしかないのですが、それがまた天の恩恵であり、有難い邂逅ではないかとも私は思います。

つまりこの意味づけしていく日々というのは、関係しあっている日々であるということ、そして本質は常に自らの心のあるがままに根本に関わり続けていくということに他なりません。

今日、また起きる出来事が一体何とつながっているのかと日々に事件が起きることに関心を持つのは、私が意味づけする人生に価値を置いているからかもしれません。

ひとつひとつのご縁を噛み締めながらそして意味づけながら、感謝に換えて唯一無二の日々を大切に過ごしていきたいと思います。

有難うございます。

 

  1. コメント

    ただ過ぎていく毎日と意味を考える毎日とでは、時間の密度が変わり次に活きてくるのも意味を感じたときのように思います。意味を見出すと関わりが変わり、他の人と比較してどうかではなく、自分自身の姿勢を見つめ直し改めて行動し直せるところに行き着きます。
    意味をつける・意味に気づくことに対して、その意味を考えていることはまだまだ部分的な気づきであるということもまた感じますが、関係しあっている出逢いに感謝し日々を流さず過ごしていきたいと思います。

  2. コメント

    日々の繋がりを断ち切る行動に、諦める、無関心があると自分の中にある事を感じます。その無関心さは、今のままで楽をしたいという思いがどこか自分の中にある事だと感じます。しかしそれは自分の夢を邪魔するものなので、その怠惰な感情に人生は1番苦しめられているのではないかと感じます。もっと素直に運命や自然、出会いに身を任せて自分を良く使って行きたいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です